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信長が欲しがった松永久秀所有の名器「平蜘蛛」とは?

平蜘蛛を割る松永久秀。月岡芳年画

 

「麒麟がくる」第40回では信長が喉から手が出るほど欲しがった松永久秀の所有する「平蜘蛛」が登場するね。
ここでは天下一の名物とうたわれていた平蜘蛛についてまとめてみよう。

 

 

【久秀が所有した平蜘蛛とは?】

 

松永所有していた天下一の名物とうたわれる「平蜘蛛」の正式名称は「古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)」と言うよ。

低く平らな形状をしており、蜘蛛がはいつくばっているように見えることからこの名前が付いたそう。

古天明とは鋳物生産で有名な現栃木県佐野市にあった天明釜で造られたものであると言われているんだ。
きわめて奇形で、流麗な茶釜だったそう。

 

松永久秀は相当の目利き、数奇者であり、名物コレクターでもあったの。
さらに優れた茶人としても一目置かれた存在だったんだよ。

久秀は織田信長へ臣従した際には名物・九十九髪茄子を進呈。
それ以降、信長から何度も平蜘蛛を所望されるものの、そのたびに断っているんだ。

 

将軍レモン
将軍レモン
名物・九十九髪茄子をあげたのにな!!

 

 

 

平蜘蛛を割る松永久秀。月岡芳年画

 

 

【平蜘蛛はどうなった?その行方はいくつかの説がある!】

 

では天下一の名物と言われた平蜘蛛はその後どうなったんだろう?
実は平蜘蛛の行方に関しては諸説あるんだ。
いくつかの説をまとめてみよう。

 

<久秀によって打ち壊された説>

久秀は信長に侵攻されて信貴山城で自害したんだけど、その際に信長の手に平蜘蛛がわたるのを嫌がり、久秀によって打ち壊されたとされているよ。

 

<爆薬を仕込まれ消失した説>

久秀が自害する際には、平蜘蛛に爆薬を仕込んで爆死したとされているよ。この説は昭和に入ってから言われるようになったんだ。

 

<破片を集めて復元した説>

「松屋名物集」によると、落城した信貴山城から多羅尾玄蕃が「平蛛ノ釜ツキ集メ持ナリ」とあるんだ。
その破片を集めて平蜘蛛を復元したとあるよ。
また、津田宗及の「宗及他会記」によると、天正8年(1580年)5月13日に若江三人衆の一人である多羅尾綱知が「平くも釜」を使用したとあるの。

 

<浜名湖舘山寺美術博物館にある説>

静岡県浜松市西区舘山寺町にある浜名湖舘山寺美術博物館には「平蜘蛛釜」と伝わる茶釜があるんだ。
信貴山城跡を掘り起こした時に、この茶釜が出土しており、信長の手に渡り愛されたものだという由来があるよ。

浜名湖舘山寺美術博物館が所有しているこの茶釜は、伝承通りのフォルムをしていて、雰囲気は一致しているの。
しかし本当に松永久秀が所有していたものと同一であるかについては不明だよ。

 

<久秀が砕いた平蜘蛛は偽物説>

松永久秀と親交のあった柳生家の家譜「玉栄拾遺」によると、久秀が砕いた平蜘蛛は偽物だったとされているんだ。
本物は久秀の友人であった柳生松吟庵に譲ったという記述があるよ。

 

レモン姫
レモン姫
いろんな説があるんですね!

 

【久秀の謀反時、平蜘蛛の茶釜を差し出せば除命すると言うほど信長は欲しがっていた】

 

天正5年(1577年)8月、大坂本願寺を攻めていた松永久秀は、突如天王寺砦を焼き払って、子・久通とともに信貴山城に籠城。
この時、久秀が頼ったのは、本願寺の顕如と、上洛準備中であった上杉謙信だった。

 

家臣であった久秀の謀反に驚いた信長は、松井友閑を派遣して、久秀にその理由を尋ねたそう。
その際は、信長は久秀の謀反を許すこともあり得るとまで言ったものの、久秀は友閑にも会おうとせず、その決心は固いものだったんだ。

一説によると、信長は久秀に対して、久秀が所有している名器「平蜘蛛の茶釜」を自分に差し出せば助命してやろうと伝えたと言われているよ。

しかし、久秀はその条件に対して「蜘蛛の釜とわれらの首と2つは、信長公にお目にかけようとは思わぬ。粉々に打ち壊すことにする」と回答したそう。
それを聞いた信長は怒って、人質であった久秀の孫2人を京都の六条河原で処刑したんだ。

 

将軍レモン
将軍レモン
孫2人の命が。。。

 

【名物茶器を所有することは権力者で文化人というアピールになる】

 

戦国時代の武将にとって、茶の湯は欠かせない教養の1つだったよ。

名物茶器所有することは権力者であって、文化人でもあるというアピールになったんだ。
逆に、名物茶器を持っていないということは権力者であっても文化的とはみなされなかったの。

 

戦国武将の中でもとりわけ織田信長は「天下の名物は天下人のもとにあるべきだ」という考えが強く、降伏する武将が名物茶器を持っていた場合、命の代償として名物茶器を献上させていたとも言われているよ。

つまり信長は、天下一の名物とうたわれていた平蜘蛛の茶釜は、松永久秀ではなく、天下人に近しい自分が所有するのにふさわしいと考えていたんだ。

 

将軍レモン
将軍レモン
信長様はどーしても平蜘蛛が欲しかったんだろうな〜!