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丹波の領民に君主として慕われていた?光秀が行った丹波統治とは?

京都府福知山市の御霊神社正面 CC from wikipedia

5年もの歳月をかけて丹波を平定した明智光秀は丹波統治を行っていくよ。

現在でも丹波の人々にとって明智光秀は、本能寺の変を起こした謀反者ではなく、名君として慕われているんだ。
ここでは明智光秀が行った丹波の統治についてまとめてみよう。

 

 

【丹波平定後、光秀の拠点はどこになった?】

 

光秀はそれまで近江・坂本城を拠点としていたんだけど、天正5年に亀山城を手にして以降は、亀山城を丹波攻略の拠点としたんだ。

丹波平定後には、まず福知山城の改修にとりかかったけれど、光秀自身が福知山城を居城とすることはなかったの。
平定後も、変わらず亀山城が拠点となったんだよ。

 

 

亀山城は京都府亀山市荒塚町周辺にあったお城で、これまでの居城であった近江・坂本城とも行き来しやすい場所にあったんだ。
そのため光秀は、坂本城とも近い立地に優れた亀山城を当初から拠点としていたと考えられているよ。

 

改修した福知山城には、光秀の娘婿である明智秀満が任されたよ。
城の改修から縄張りまで光秀が主導して行ったお城だったんだけど、光秀は亀山城と坂本城を行き来して、少し距離的に遠かった福知山城は義理の息子である秀満に託したんだ。

 

ちなみに本能寺の変が起こった後、この福知山城には居留守役として秀満の父がいたんだ。
しかし秀満の父は秀吉軍に捕らえられてしまい粟田口で処刑。

福知山城城主である秀満は、光秀の坂本城でその一生を遂げるよ。

 

また丹波の攻略で最もてこずった赤井直正の居城・黒井城には、光秀の家老・斎藤利三が任されたんんだ。

斎藤利三の娘といえば、徳川家光の乳母として知られる春日局だよね。
この春日局は、黒井城の下館であった興禅寺で誕生しているんだよ。

 

 

【光秀は丹波でどのような統治を行ったの?】

 

丹波を平定してから、本能寺の変が起こるまではわずか2年半程度。

丹波の領主だった時間はほんのわずかな期間だけだったけれど、光秀は丹波で様々な統治を行ったんだ。
ここでは丹波で行われた統治についてまとめてみよう。

 

<検地>

天正9年(1581年)に光秀は細川藤孝とともに丹波の検地をおこなったんだ。
光秀は何事にもきっちり丁寧に行う性格だったから、所領の管理も徹底していたと言われているよ。

この丹波の検地によって千石を一村と定めて、そこに1人の名主を置いたんだ。
さらに一万石に1人の代官を配置したよ。

 

<税の免除>

本能寺の変を起こした後、光秀は京の地子を免除して、京の民衆からの支持を得ようとしたんだ。
この地子とは地代・土地にかかる税のことで、この税の免除は民衆にとっては非常にメリットが大きいよね。

 

実は、光秀は丹波においても領民の支持を集めるための政策を打ち出していたんだ。
それが年貢以外の一切の雑税を賦課しないというもの。
この税の免除によって、丹波の民衆から絶大な支持を得たと言われているよ。

 

光秀が丹波を管理し始めてから、以前と比べて領民の区別がはっきりして暮らしやすくなったと言われているんだ。

ただ光秀の丹波の領主だった時代の史料は非常に少なく、税の免除に関する出来事が記されている福知山・威光寺所蔵の「寺社改ニ付一札」の「里老茶話」は江戸時代になって書かれたものなので信憑性があるとは言えないそう。

 

将軍レモン
将軍レモン
免税は民にとっては、神!ですよね!!

 

【丹波の領民からは御霊さまと慕われていた】

 

光秀は信長から丹波一国を所領として得たものの、信長から与えられているだけでいつその領地を失うかは分からない状態。

それでも、光秀は自国としてしっかりと丹波国を管理して統治していたんだ。
そのため民衆からの光秀の支持は非常に高く、君主として後世においても人気があるんだよ。

 

世間一般からみると明智光秀といえば本能寺の変を起こした反逆者というイメージが強いよね。
けれど丹波においては現在においても名君として伝えられているの。

 

領民には「御霊(ごりょう)さま」と言われて慕われており、現在でも光秀を祀る御霊神社が存在するんだ。
御霊神社は福知山市にあり、元々は五穀豊穣、商売繁盛の神を祀る稲荷社だったの。
この神社の名前自体が、明智光秀を主祭神としていることに由来するんだよ。

 

これほどまで領民から慕われていたのは、光秀が様々な善政を行っているから。
丹波を治めていた時、光秀は福知山の領民のために堤防を造って川の氾濫を防いだんだ。
また城下町建築のための施策にも積極的に取り組み、地子を免除したことで町が繁栄したとも言われているよ。

 

御霊神社で光秀が祀られているのは、その当時の領民たちの感謝がその後も後世に伝わったためなの。
丹波を統治していた時代の史料はほとんどないものの、今でも地元の人達に慕われていることを考えると、光秀がいかに領民を思って行動していたのかがよく分かるよね。

ちなみに丹波平定の際に敵対していた土豪たちは、古くは御霊神社に行くことも禁止されていたそう。

 

レモン姫
レモン姫
丹波を平定した後も、民のためにいろいろとやってあげた明智光秀。
足軽レモン
足軽レモン
素晴らしい政治を行って丹波の人たちには嬉しい政治をしてくれたからこそ、だね!

 

 

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