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2020年10月21日
「麒麟がくる」第28回では、松永久秀が明智光秀に「千貫で売れる」と話していた「九十九茄子の茶入(つくもなす/つくもなすび)」が登場するよね。
この茶入は実在するもので、「大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子(おおめいぶつ・からものなすちゃいれ・つくもなす)」と呼ばれる茶器の名物のうちで最も古くとても貴重なものなんだ。
今回はこの九十九髪茄子(つくもかみなす)についてまとめてみよう。
目次
【九十九茄子の茶入とはどんな茶器だったの?】
九十九茄子の茶入は大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子とも呼ばれているの。
茄子の茶入は「つくもがみ」と呼ばれていたそうで、漢字では「九十九髪」もしくは「付喪神」と表記されていたんだ。
「九十九髪」とは老女の白髪を意味していて、「付喪神」は古い器に霊が宿った妖怪を意味しているよ。
茶器の大名物の中でも最も古いと言われている九十九髪茄子はとても貴重な茶器であり、現在は東京都世田谷区にある静嘉堂文庫美術館に保管展示されているの。
ちなみに大名物(おおめいぶつ)とは、茶の湯道具の名物の中でも、千利休以前にすでに名物として選定されていた茶器のことなんだ。
この代表的な茶器が、九十九茄子の茶入になるんだよ。
【九十九茄子の茶入の伝来はいつ?誰が所有していた?】
この九十九茄子の茶入が中国から伝来してきた当初は、室町幕府第3代将軍の足利義満の秘蔵の品だったんだ。
代々、九十九茄子の茶入は足利将軍家で愛用されていたんだけど、第8代将軍・足利義政が寵臣の山名是豊に譲った後は戦国の世の中を転々とすることになるよ。
その後、松永久秀が千貫という大金で入手したと言われているんだ。
千貫で九十九茄子の茶入を入手した松永久秀は、上洛を遂げた織田信長に献上したそう。
信長がなくなった後は、本能寺の焼き跡から九十九茄子の茶入を見つけ出されたよ。
焼け跡から見つかった九十九茄子の茶入は、豊臣秀吉が所有することに。
けれど、焼けて釉薬の輝きが失われた九十九茄子の茶入を秀吉はあまり好まなかったんだ。
そこで秀吉は、有馬則頼に与えたそう。
秀吉は絢爛豪華な金を施した派手なものが好みだったから、輝きを失った九十九茄子の茶入は魅力を感じなかったんだろうね。
有馬則頼が亡くなった後は、九十九茄子の茶入は大坂城に戻されるものの1615年大坂城落城の際に再び焼けてしまうんだ…。
その後、徳川家康の命令によって、藤重藤元・藤厳親子が大坂夏の陣で被災した大坂城趾から探し出したんだ。
探し出された九十九茄子の茶入は、破片を漆で継ぎ合わせて修繕・修復されたんだ。
修復された九十九茄子の茶入は非常に素晴らしい出来映えで、その出来映えに感嘆した家康は褒美として、藤重藤元に九十九茄子の茶入を与えたそう。
それ以後、九十九茄子の茶入は藤重家に伝来し、1876年(明治9年)に岩崎弥之助に譲られたんだ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など数々の天下人の手にわたったこの九十九茄子の茶入は、現代まで伝わっている非常に重要な歴史産物といえるね。
【名物・九十九茄子の茶入は現在の価値だといくらくらいなの?】
九十九茄子の茶入は、「麒麟がくる」の劇中でも松永久秀が明智光秀に「千貫で売れる」と話しているよね。
当時のお金で千貫と言われているけれど、現在の価値ではいくらくらいになるんだろう?
九十九茄子の茶入は、高さ約6㎝、胴の幅約7㎝、周り約23㎝と、抹茶の茶入れとしてはやや大きいサイズ感になっているんだ。
千貫は現在の価値で考えるとどれくらいになるのかをまずは考えてみよう。
1547年に米42石5斗4升3合7勺が22貫370文で取引されていたと記録があるんだ。
つまりこの額から計算すると、1貫は1,901石になるよ。
1石=150㎏とされているので、1000貫では米が285150㎏購入できるということになるんだ。
現在の米の価格は、農林水産省によると平均で60㎏が16501円。
単純計算をすると1000貫は7842万円になるよ。
茶入れ1つが7800万円もするとは本当に驚きだよね。
画像は静嘉堂文庫美術館さまより引用させていただいております。