越前での明智光秀のゆかりの地はどこ?地元の人から愛された光秀の旧居跡を探ってみよう!
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2020年8月27日
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀の足取りを追うことができる場所として人気があるのが福井県福井市だよ。
福井県には戦国大名・朝倉氏が拠点としてた山城「一乗谷城」や居館などの城下町の跡地を見ることができるの。
今回も前回と同様に、10年あまりを過ごした福井県の光秀スポットをまとめてみよう。
【光秀で注目を集めている一乗谷城跡】
明智光秀が関わっているお城といえば、安土城、岐阜城、岩村城、福知山城など全国に何ヶ所かあるんだけど、その中でも特に注目されているのが福井県福井市にある「一乗谷城」だよ。
一乗谷城は全国で6例しかない特別史跡、特別名勝、重要文化財という国の三重指定を受けた中世唯一最大の戦国城下町跡だよ。
一乗谷城跡の山中には、防御のための施設である畝状竪堀が要所に築かれていて、晴れた日には山頂から日本海を見渡すことができるから景色が抜群なんだ。
一乗谷は全盛期には「都の景色たちも及ばじ」と詠われるほど、日本有数の城下町として栄えてきたという話は以前したよね。
戦国時代に朝倉氏5代が103年間にわたって支配した越前の国の城下町の一乗谷では長い間平和が続いたんだ。
その中で、義景は文化人としての才能を発揮し、応仁の乱によって荒廃した京からは多の公家、高僧、文化人、学者たちが避難してきたから、城内1万人はいたとされているよ。
戦国時代屈指の巨大都市となって、華やかな京文化が開花したの。
しかし、現在は当時の建物は何も残っていないんだ。
天正原燃(1573年)に、織田信長によって攻め滅ぼされてしまった朝倉氏は、一乗谷の建物もすべて焼かれてしまったの。
現在は、街並みが忠実に復原されている復原町並を見ることができ、戦国時代の暮らしを垣間見ることができるよ。
実際に「麒麟がくる」の撮影もこの場所で行われたんだ。
下城戸には土塁が築かれていて城門とされていた場所なんだよ。
土塁の西側には巨石が積み上げられているんだ。
復原町並では、武家屋敷や庶民の町屋が形成されていた様子がリアルに再現されているの。
この町並では、実際に一乗谷城跡から発掘された塀の石垣、建物礎石などをそのまま使っているんだよ。
また、柱、建具、壁なども出土した遺物に基づいて忠実に再現されているんだ。
唐門は一乗谷朝倉氏遺跡のシンボル的存在で、朝倉氏の家紋と、斎藤義景の替え紋が彫られているよ。
金閣寺、銀閣寺、平城宮などと並んで国の三重指定を受けている歴史価値の高い遺跡である一乗谷城跡は光秀ファンであればぜひとも一度は訪れておきたいね。
完全な姿で発掘された復原町並は本当に美しいの。
雪の多い地域だけれど、復原町並は冬でもちゃんと歩きやすいように整備されているよ。
【朝倉氏・初代孝景から5代義景までのお墓もある】
一乗谷には、その地を支配していた朝倉氏・5代のお墓も残っているんだ。
初代・朝倉孝景は、朝倉氏繁栄の基礎を作った人物。
孝景は当時公家領や寺社領の押領を頻繁に行ったため、公家や寺社からは「天下の極悪人」とも言われたそう。
けれど、優秀な軍略を持っていて、連歌や和歌にも親しみ、文化人としての素養があった孝景は兵たちからは慕われていたんだ。
朝倉氏が暮らしていた朝倉館跡の面積は約6400平方メートルもあり、17棟の建造物があったの。
4つの日本庭園はすべて国の特別名勝として指定されているよ。