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湯築城

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湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市にある城跡。

湯築城には堀や、土塁が現存しており、国の史跡にも指定されています。
湯築城は建武2年(1335年)前後に伊予国の守護であった河野通盛の代に築城されました。

その後、天文4年(1535年)には通直によって外堀が造られ、天正13年には四国征伐を目指す羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻。
金子城主の金子元宅を攻撃の末に滅ぼし、湯築城の河野氏も約1ヶ月の籠城後に降伏したといわれています。
城にとどまっていた通直は命は助かったものの、2年後に病死。城は小早川隆景に与えられたが、所領は筑前に移されました。

湯築城は天正15年に、福島正則が城主になるものの、国分山城に居城を移したことにより廃城。松山城の築城に際しては、湯築城の瓦などの建材が流用されたことが分かっています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒790-0857 愛媛県松山市道後公園1

 

・御城印の入手場所

湯築城資料館

300円

日本100名城の1つでもある湯築城。
現在湯築城跡は、道後公園として整備されており、市民の憩いの場となっています。

中世期まで政治、軍事、文化の中心を担っていたvは、江戸時代には伊予松山藩の管理下に置かれました。
明治期には県立の都市公園や植物園として、昭和時代には動物園としても利用されていた歴史があります。

中世城郭である湯築城は、近世の城郭が持つ石垣や天守はありません。
地形を利用してつくられた平山城であり、約200年後に外堀を築きます。

城郭の堀や土塁などの縄張り遺構は現在でも良好に残っています。

展示施設としては湯築城資料館、武家屋敷、土塁展示室、庭園区、上級武士居住区などがあります。

武家屋敷では外観復元した建物内部を展示施設にしていて、当時の生活の様子や調度品も再現されているので分かりやすいです。

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