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小谷城
2020年2月16日

大津城

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大津城は近江国滋賀郡大津にあったお城。

現在の京阪電鉄「びわ湖浜大津駅」周辺一帯にあった水城であり、安土桃山時代に築城されました。
二の丸、三の丸は内陸側にあり、本丸は琵琶湖岸に面して、港の機能を担っていたそうです。

関ヶ原の戦いでは、激しい城の攻防戦が行われ、戦後に廃城となりました。
天守は、膳所城や彦根城に移築されたとも言われています。

この大津城は豊臣秀吉が阪本城を廃城した後に、浅野長政に命じて築かせた城です。
その後、城主は増田長盛、新庄直頼と代わり、1595年には京極高次が城主となって6万石を与えられました。

大津城はもともと琵琶湖の水運を利用して、美濃や越前方面から運ばれてくる物資を安全に保管するための城郭だったため、攻防戦には不向きであったといわれています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒520-0047 滋賀県大津市浜大津5丁目2−29

 

・御城印の入手場所

ホテルサンルート彦根売店コーナー

330円

大津城で行われた攻防戦は「大津城の戦い」と呼ばれています。

大津城の戦いは、関ヶ原の戦いの前哨戦と位置付けられています。
当時の大津城の城主は京極高次でした。
東軍についた京極軍を西軍の毛利元康の大軍が包囲。
最後は毛利軍の前に開城したのですが、大津に釘付けさせたことで毛利の大軍を関ヶ原に向かわせなかった戦いとなったのです。

大津城は琵琶湖に浮かぶ水城のため、周囲の高地から砲撃されると弱いという弱点がありました。
そのため、高次は城下を焼いて籠城準備をしたのです。
毛利元康が率いる西軍は15000、それに対して京極軍は3000と5倍の兵で攻め込まれることになるのですが、大津城はすぐには落城しませんでした。
大津城は西軍の猛攻に耐えて、砲撃にあっても天守が落ちることはありませんでした。