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2020年3月2日
建昌城
2020年3月3日

岩剱城

岩剱城は鹿児島県姶良市にある標高210mの岩剣山山頂にある山城です。
中世城郭の岩剣城は姶良市指定史跡でもあります。

岩剱城は、島津義久、義弘、歳久の初陣の合戦が行われたお城としても有名です。
また岩剱城は、鉄砲が日本で初めて実戦で使われたお城でもあります。
(鉄砲についてはこれ以前にも使用されていたという異説もあります)

岩剱城は、薩摩国の国人・祁答院良重が築城したと伝えられているものの、築城時期は不明。
岩剱城は三方を断崖に囲まれた天然の要塞であったため、敵が攻めにくかったとされています。
特に岩剱城がなかなか落城しなかったのは、山の麓にあった岩剣神社の加護があったからだとも言われています。

現在、岩剱城跡には、山上部分に当時の曲輪や空堀などが残存しており、状態も良好です。
麓にある岩剣神社付近から、城跡へは登山道があるものの、整備状況はあまりよくありません。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒899-5652 鹿児島県姶良市平松

 

・御城印の入手場所

宙の駅(通販でも購入可能 / 令和元年時点の情報)

300円

 

岩剱の戦いでは、攻め入った島津勢は天然の要塞である岩剱城をなかなか攻略できませんでした。
険阻な岩山で難攻不落の要害として知られていた岩剣山から南西に延びる尾根に沿って築かれた岩剱城は、城主である祁答院良重の子・重経らが戦死すると勝敗が決し、残兵は城を退去しました。

その後、島津義弘が岩剱城を居城とするものの、岩剱城は非常に狭く不便であったと言われています。
そのため、東麓に平松城を築き、岩剱城から移ったそうです。

本丸から曲輪にかけては尾根の鞍部にあたり、お城の中でも最も低い場所にあります。
虎口部には現在でも石積みを見ることが可能です。

また一部、石積みが組み込まれた土塁や、本丸西側の堀切、堀切の先に南西に延びる尾根に沿って曲輪群が築かれています。
山頂からの眺望は絶景で、町を見渡すことができます。

鹿児島県の御城印は

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宙の駅 

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