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名古屋城

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名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市)にある日本の城です。

別名「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」とも呼ばれています。

日本100名城、国の特別史跡、城郭として国宝第一号に指定された名城です。

徳川家康が天下普請によって築城し、その後、明治維新まで徳川御三家の一つ尾張 徳川家17代の居城でした。
おもに城郭の規模をもとにした選定で、大阪城、熊本城とともに日本三名城として数えられています。

本丸などは名古屋大空襲で焼失しましたが復元され、現在では復元された本丸御殿や、石垣づくりの名手とされた加藤清正による石垣、重さ推定10トンとされている名古屋城の石垣で最大の巨石「清正石」(施工大名は黒田長政)や、
日本一の規模を誇る藩主の庭「名勝二之丸庭園」、場内の御深井丸(おふけまる)の庭内に由緒ある4つの茶席など見所がたくさんあります。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1

 

・御城印の入手場所

正門横売店

内苑売店

300円

名古屋城の金鯱は当時、慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用されたといわれています。

江戸時代には、金鯱を盗むため、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説があるとされています。
明治以降には、実際に4回、金の鱗が盗まれる事件が起きています。

1873年(明治6年)にはウィーン万国博覧会に出品されるなど日本を代表する鯱鉾です。

当時の金鯱は、1945年(昭和20年)に名古屋大空襲で焼失しましたが、名古屋市は残骸から金を取り出し名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工して保存しています。

現在の金鯱は復元されたもので、国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師、大阪造幣局職員の手により製造されました。
一対に使用された金の重量は88キログラムと言われています。

名古屋市にあるマンホールのフタにも金の鯱がデザインされたものがあったり、名古屋牛乳シャチのマークの牛乳など、Jリーグクラブに名古屋グランパス(grampusは広義でシャチを指す)など多くのところで親しまれている金鯱です。