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大多喜城

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大多喜城は千葉県夷隅郡大多喜町にあったお城で、戦国時代~江戸時代にかけて存在しました。
初めの頃は小田喜城と呼ばれていたそうです。また江戸時代には大多喜藩が置かれていました。

大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」を築城したのが始まりです。
大多喜城は、3層4階の天守を持つ近世城郭であり、麓には城下町が作られました。

天守は天保13年(1842年)に焼失後、天守に代えて「神殿」と称する建物が建てられたそうです。
しかし、当時の大多喜藩は財政難に苦しんでおり、粗末な建築物であったと言われています。

現在大多喜城の遺構は、本丸付近に土塁、大手門付近に堀跡が残っていて、二の丸には大井戸も残存します。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒298-0216 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜482

 

大多喜城では、昭和50年に天保13年模写の三層天守絵図を元に、江戸時代の一般的な天守を参考として推定復元を行って再建されました。
高台にそびえる白亜の天守閣はとても美しく、壮大。
春には山の斜面に、約1000本のソメイヨシノが咲き誇るので、桜と天守閣のコントラストが実に見事です。

大多喜城を訪れたときにはぜひとも見ておきたいのが、日本一の大井戸です。
二の丸にある大井戸は、周囲10m、深さ20mもあり、「底知らずの井戸」とも呼ばれています。
生活に水は欠かせず、戦で籠城した時のために彫られたと言われており、雨の降らない夏でも満々と水を讃えていたそうです。