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明智光秀といえば、本能寺の変で主君・織田信長を討ち、逆臣のイメージで語られることが多いよね。
けれど光秀は、連歌や茶道にも造詣の深い教養人であり、丹羽などかつての所領では善政を行った名君として、今なお人気があるんだ。
特に今年は大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公にもなっており、明智光秀人気がうなぎ上りなんだよ。
今回は、明智光秀ゆかりの地である「山家城」についてまとめてみよう。
目次
【光秀が侵攻した山家城って?】
丹羽・山家城(やまがじょう)は、京都府綾部市広瀬町にある山城で、標高は236m、比高は130mほど。
別名「甲ヶ峰城」「左衛門屋敷」と呼ばれており、最初の築城は1563年で和久義国であったと言われているよ。
和久義国は、丹羽・横山城主である塩見頼勝の4男で、通称は枠左衛門佐と呼ばれているんだ。
山家城は福知山の和久城の支城であったと言われているよ。
1579年にこの山家城を侵攻したのが明智光秀だったんだ。
明智光秀によって落城した山家城は明智領になった後、、1582年に本能寺の変が起こるよ。
そして、羽柴秀吉に従っていた播磨・平田城主である谷衛友が山家16000石に入封したんだ。
ちなみに現在の山家城址は、江戸時代にこの地を治めた谷氏の陣屋跡になっているの。
【山家城址に「御城印」が登場】
京都府の綾部市観光協会は、明智光秀の丹羽攻略で攻め落とされた山家城址の御城印を製作したんだ。
山家藩主・谷衛友と城門のイラストも印刷されていて値段は1枚300円。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の人気にあやかって、綾部市内にある光秀ゆかりの地をアピールして、観光客を呼び込んでいるよ。
この御朱印には登城記念の日付も入るそう。
ちなみに谷氏の家紋は織田信長から賜ったものと言われているんだ。
【他にもある!綾部市にある明智光秀ゆかりの地とは?】
光秀が侵攻した山家城址がある京都府綾部市にはこの他にも明智光秀ゆかりのスポットがいくつかあるんだよ。
早速紹介してみよう。
・国宝 光明寺 二王門
綾部市にある光明寺は、聖徳太子創建のと伝わるお寺です。その山門にある二王門は鎌倉時代に建立され、京都府北部の建造物の中で唯一国宝に指定されているんだ。
この光明寺は明智光秀によって焼失されたと言われており、その焼失によって二王門だけが残ったと言われているよ。
・福知山城天守閣棟木
明智光秀は丹羽平定の功績によって、丹羽二十九万石を封ぜられたので、亀山と福知山に居城を築いて国土経営に当たったんだ。
栗村の寺の棟木は福知山城を築城する時に使われたと言われているんだ。
また、志賀郷七不思議の雫松も福知山城の天守閣の棟木に使われているの。
明治初年の天守閣解体の時に、棟木にその由が記してあったため、志賀郷村へ引き取り方を申し入れてきたものの、多額の運送費を支払って取り返すことはないとそのままになっているそう。
現在は、雫松の皮の一部といわれているものが志賀郷公民館に展示されているよ。
築城については寺院を壊したり、墓石を回収して工事の資材に使ったという言い伝えが各地に伝わっているよ。
明智光秀が福知山城を築く時に、城の棟木に必要な松の大木を探していたそう。
そんな時に、しずく松・ゆるぎ松を探し当て、早速きこりを呼んで松を切らせたんだ。
すると、松の屑が一夜にして元の松の木に戻ってしまい、どうしても切り終えることができなかったそう。
このことを聞いた家来は、腹を立てて火の中へ切っては焼き、切っては焼きをして、ようやく切り終えたという逸話が残っているよ。