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2020年5月5日身分統制令とは?人掃令との違いと兵農分離との違いや関係性とは?
2020年5月6日
歴史の教科書に必ず記載されている「兵農分離」
兵農分離は、戦国時代から江戸時代にかけて行われた武士と農民の身分的分離政策のことなんだ。
ここでは豊臣秀吉が行った兵農分離についてと、兵農分離を行ってどのように変わったのか?について分かりやすく解説していくね。
目次
【兵農分離ってなに?】
今の時代では、誰でも自由に職業に就くことができるよね?
しかし、戦国時代には身分を固定化する政策があったんだ。
それが「兵農分離」だよ。
兵農分離は、兵士と農民の身分をしっかりと区別して、軍事的、経済的に効率をよくする政策なんだ。
この兵農分離が、のちの士農工商につながり、より細かい身分制度に発展したと言われているよ。
【なんで兵農分離を目指したの?】
戦国時代より前は、武士と農民の身分の差はほとんどなかったと言われているよ。
農民が武器を持って戦を起こした「一領具足」や「一向一揆」なんかも有名だよね。
しかし、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などが活躍する戦国時代になると、兵農分離が積極的に行われるようになったんだ。
兵農分離は簡単に言うと、身分を分ける政策なんだけど、兵農分離を行った目的はいくつかあると言われているよ。
早速まとめてみようね。
・一揆や反乱を起こさせないようにするため
兵農分離を行った最大の理由の1つが、一揆への対応だよ。
戦国時代には全国各地で農民による一揆が多発していたんだ。
一向宗と農民が主力であった一向一揆が有名で、戦国大名はこの一向一揆の対応に追われることも多かったそう。
そこで、農民と武士の身分の区別をしっかりと分けることで、一揆が起こらないようにしたんだよ。
一揆を起こさせないようにするために農民からは武器を没収する「刀狩令」も発令されたんだ。
・常備軍を設置するため
戦国時代以前は、農民が武器を持つことも一般的で、戦をする時も武士だけではなく、農民から人員を徴収することが常識だったの。
しかし、農繁期に農民が戦に対応していると、きちんとお米を作ることができないんだ。
戦国時代の日本財政の中心はお米だったから、お米を収穫できないとその領国の経営が立ちいかなくなってしまう…
そのため、戦国大名はお米を収穫する10月になると戦争をやめて、自分の領地に帰っていたそう。
兵農分離を行うことで農民は農業に専念するようになったんだ。
だから、農繁期になっても戦争を仕掛けることができ、常備軍として特別な訓練を受けやすくなったんだよ。
【兵農分離で行われた政策ってなに?】
農民と武士の身分を区別するために、秀吉はいくつかの政策を立てたんだよ。
簡単に紹介していくね。
・刀狩令
秀吉の刀狩令は兵農分離の代表的な政策として有名だよね。
刀狩令は1585年から行われるようになり、農民から刀、槍などの武器を没収したんだ。
武器を没収された農民は反乱を起こせなくなり、武士と農民の区別がよりつくようになったと言われているよ。
・人掃令
人掃令とは農民が勝手に武士になったり、武士が勝手に農民になったりするのを禁止する法律のことだよ。
身分を完全に固定して、それぞれの身分を明確に分離したんだ。
・海賊禁止令
この当時の海賊というのは、ぼくたちがイメージするようなお宝を目指して旅する海賊じゃないんだ。
戦国時代の海賊は、瀬戸内海にいて、海を通過する商船から通行料を徴収していたんだよ。
室町時代には、大名や貿易船の警護する代わりにその存在を認められていたんだけど、秀吉は海賊を解散させるために「海賊禁止令」を発令したんだ。
この法令では、日本各地にいた海賊たちに
・秀吉の下の大名に組み込まれるか
・特定の大名の家臣団になるか
・農民になるか
の三択を迫ったんだよ。
また、瀬戸内海を通行する商船からの通行料の徴収権利も奪われちゃったんだ。
この法令によって、海賊は姿を消したよ。
秀吉は兵農分離を進めるために、たくさんの政策をしたことがよくわかるね。
【兵農分離をしたことによって、世の中はどのように変わったの?その影響は?】
兵農分離をしたことによって、世の中はどう変わったのか?
兵農分離の影響についてまとめてみよう♪
・城下町が発展した
兵農分離を行ったことによって、城下町が発展したの。
城下町は大名の本拠地の城付近のことを言うんだけど、この兵農分離によって、農民と武士が住む区域も分かれるようになったんだ。
大名は、すぐに駆け付けることができるように武士を城下町に移住させたんだよ。
武士が強制的に城下町に移住させられたことによって、城下町の人口は一気に増加。
町は大きく発展したんだ。
・生産性が効率的になった
武士と農民の区別をはっきりと分けたことによって、作業の効率化がアップしたんだ。
職業を完全に分けたことによって、農民は農業に専念できるようになって米の生産量もアップしたんだって。
農作物の生産が拡大しおかげで、農民たちの生活は以前よりも楽になったというメリットもあったんだよ。
武士たちも常備軍として日頃から訓練を受けるようになって、今までとは違う、より精強な軍隊を作ることに成功。
さらに、いつでもすぐに出陣できるようになったんだ。
・江戸時代にも受け継がれた
信長や秀吉が行った兵農分離は、江戸時代にも受け継がれたんだよ。
江戸時代には兵農分離をさらに強化した「士農工商」という身分制度を整えたの。
信長や秀吉が行った兵農分離によって、常備軍の確保や一揆防止などの目的以外にも、城下町が発展するなどメリットもたくさんあったんだね。
秀吉が行った兵農分離という政策は大成功だったと言えるよ。