世界遺産にも指定されている元興寺は日本最高の本格的仏教寺院
2021年6月30日日本初の本格的な仏教寺院「飛鳥寺」は日本仏教のルーツ!日本最古の仏像もあるって本当?
2021年7月5日
仏教伝来以来の古い歴史を持つ日本三大寺。
今回はその中の1つである川原寺(弘福寺)についてまとめてみよう。
目次
【飛鳥の四大寺「川原寺」の跡地には弘福寺がある】
日本三大寺の1つである川原寺(かわらでら)は、飛鳥(奈良県高市郡明日香村)にあった仏教寺院だよ。
この川原寺は飛鳥寺、薬師寺、大官大寺とならんで「飛鳥の四大寺」に数えられた大寺院だったの。
しかし中世以降に衰微して、廃寺となったんだ。
川原寺の跡地は国の史跡に指定されており、現在中金堂跡には真言宗豊山派の弘福寺(ぐふくじ)があるんだ。
1957年、1958年に発掘調査が行われた結果、東西の長さは150m以上、南北に330mという広い敷地の中に、東塔1つと金堂2つを配置し、境内側に扉を持たずに解放された僧房が北東西の三方から囲むという一塔二金堂式の独特な伽藍配置を持つお寺であることが分かったよ。
この独特な伽藍配置は「川原寺式」とも称され、非常に珍しいんだ。
またこの発掘調査で、古瓦をはじめ、古銭、金銅製品、土師器、須恵器などが発見されたんだ。
現在は、南大門や中門などの位置がわかるように史跡として整備されているよ。
川原寺創建時の姿に関しては、飛鳥資料館の模型で見ることができるんだ。
【川原寺の炎上・衰退】
川原寺は平安時代末期の建久2年(1191年)に焼失したことが、九条兼実の日記『玉葉』に記載されているの。
さらにそれ以前にも火災で焼けてしまった旨の記載が残っているため、複数回にわたって焼失したと推測されているんだ。
その後、鎌倉時代にはいったん再興されるものの、かつてのような勢いを取り戻すことはなかったよ。
室町時代末期には、雷火によって再び焼失し、それ以降は再建されることなく廃寺となったと言われているの。
江戸時代中期になって中金堂跡地に弘福寺が建立されて現在に至っているよ。
【謎の多い川原寺】
川原寺は飛鳥四大寺に数えられるほど大きなスケールを持ったお寺だったの。
さらに天武天皇の時代には、国家事業としての写経が日本で初めて行われたお寺でもあるんだ。
しかし、川原寺に関しては創建の理由、創建の時期などの詳細が分かっていない謎の多いお寺なの。
日本書紀などの歴史書や風土記への記載もほとんどなく、「謎の大寺」という別名があるほどなんだ。
さらに他の飛鳥四大寺の薬師寺、大官寺、飛鳥寺は藤原京、平城京、平安京と都を移すたびにそれに合わせて移転していたのに対して、川原寺だけは唯一、飛鳥に留まったの。
なぜ飛鳥に留まったのか?についても詳しいことは何も分かっていないんだよ。
【川原寺には大量の仏様が存在していた?】
昭和49年(1974年)、川原寺の境内、北側の山肌から数千百体もの三尊塼仏が出土したんだ。
三尊塼仏とはレリーフ状の板に彫られた仏様のことで、これは飛鳥時代のものとしては日本中のどこにも例がない極めて珍しいものだったの。
一説によると、川原寺創建時の中金堂の壁一面をそれらの仏様が埋め尽くしていたのでは?と言われているよ。
川原寺には当時の大和朝廷の要人たちの熱い思いが込められていて、女性天皇であった斉明天皇の存在が関係しているのでは?と推測されているんだ。
斉明天皇の子である天智天皇と、天智天皇の弟・天武天皇が、母である斉明天皇のためにこの仏様を作ったのでは?と言われているの。
そもそも、川原寺があったこの地は斉明天皇の仮宮「川原宮」があった場所であり、その上に川原寺が建てられているんだよ。
【川原寺は日本で初めて写経が行われた場所】
『日本書紀』によると川原寺は日本で初めて写経が行われた場所なんだ。
天部天皇2年3月、写経生を集めて川原寺で一切経の写経を行ったのが始まりなの。
その場所は現在、弘福寺の写経道場となっているよ。
日本で初めて写経が行われた場所で、般若心経の写経や初めての写経体験などができるんだ。
写経料金は般若心経1,000円、十句観音経700円、宝号写経300円となっているよ。
入山料とお抹茶と写経がセットとなったお得な写経セットもあるから、参拝時にはぜひチャレンジしてみたいね。
【川原寺の遺構「瑪瑙(めのう)の礎石」とは?】
弘福寺は川原寺の中金堂があった場所に建立されているので、川原寺の遺構が境内に現存しているんだ。
川原寺の遺構の代表とも言えるのが「瑪瑙の礎石」だよ。
中金堂の柱の土台となった礎石は、大理石(瑪瑙)でできていたんだよ。
その礎石に直接触れることができるから、参拝時にはぜひ触ってみたいね。
【川原寺の向かいにある橘寺】
川原寺(弘福寺)に参拝した後に、ぜひ立ち寄っておきたいのが川原寺の向かいにある橘寺だよ。
橘寺の創建年代は不詳で、文献に初めて登場したのは天武9年(680年)のこと。
聖徳太子は欽明天皇の別宮があったこの地で誕生したと言われているの。
橘寺は太子建立7か寺の1つでもあり、推古天皇が発願されて、聖徳太子にこの地に寺院建立を命じられ、聖徳太子が建立したんだ。
8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で、四天王寺式伽藍配置を取っていたんだ。
しかし現在は、江戸時代に再建された本堂と、わずかな諸堂を残すのみだよ。
次に橘寺で見ておきたいスポットをまとめてみよう。
・聖徳太子の愛馬・黒駒
橘寺本堂の右手前には黒駒の銅像があるよ。
これは聖徳太子の愛馬であり、太子信仰ではこの馬は空を駆けたと言われていて、達磨大師の化身と伝えられているんだ。
・蓮華塚
寺伝によると「聖徳太子が勝鬘経の講義の時に降った蓮の華を埋めたところで、大化の改新でこれを一畝(36坪)と定め、面積の基準として田畑が整理されたので、畝割塚とも呼ばれている」とされるよ。
・塔礎石
塔礎石の大きさは一辺2.7mと大きく、中央には直径約1mの孔があるよ。
この礎石の大きさから、創建時には一辺7mの五重塔であったと推定されているんだ。
・二面石
飛鳥時代の石造物と有名な二面石。
右善面、左悪面と言い、人の善悪二相を現わしているとされているよ。
ただ他の飛鳥石造物と同じようになぜ作られたか?など、本来の意味は分かっていないんだ。
・亀石
橘寺西門を出て遊歩道を行くと明日香村の亀石があるよ。
大きさは長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8m。
目的や用途、制作年代は分かっていないものの、川原寺の寺域の境界を示す石標ではないか?と言われているよ。