奈良市中心部にある大安寺は日本三大寺の1つ!聖徳太子が創建したガン封じに御利益があるお寺
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2021年7月1日
奈良県には1,800以上のお寺があるんだけど、日本三大寺と呼ばれる3つのお寺は全て奈良県にあるんだ。
今回は日本三大寺の1つである元興寺(飛鳥寺)についてまとめてみよう。
目次
【元興寺(飛鳥寺)の歴史とは?どんなお寺なの?】
元興寺(飛鳥寺)は奈良市芝新屋町にあるお寺で、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身となるんだ。
元興寺は、日本三大寺の中では唯一、往時の面影を残す寺にあるよ。
元興寺の前身である法興寺は、587年に蘇我馬子が建立を発願して創建されたんだ。
当時、蘇我馬子は仏教排斥派であった物部守屋と対立していたため、その戦勝祈願のために飛鳥に法興寺を建てたものと言われているの。
法興寺は、飛鳥に建てた寺なので「飛鳥寺」の名でも呼ばれるようにもなったんだ。
710年の平城京への遷都に際して、法興寺は養老2年(718年)に奈良へ移転し、「元興寺」となったよ。
ちなみに飛鳥の法興寺も元の場所にそのまま残って、それが現在の「飛鳥寺」となっているんだ。
勢いは衰えたとは言え現在にも残っているよ。
奈良へ移転した元興寺は法相宗と三論宗の道場として栄え、東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍を擁する巨大な寺院となっていったんだ。
しかし10世紀以降は次第に衰退してしまい、荒れ果ててしまうよ。
元興寺の修復のために、寺宝である琵琶を売却したという記録が残っているほどで、かなり困窮していたことが分かるよね。
南都七大寺の1つとして現在「ならまち」と呼ばれる界隈の大半を含む広大な寺院だったんだけど、現在は僧坊遺構の極楽堂と禅室を残すのみとなっているよ。
極楽堂と禅室には建立以前の柱や瓦が今もなお一部に使われていて、禅室は天平時代の僧坊の形をとどめる貴重な遺構となっているの。
法輪館には国宝の五重小塔や重要文化財の聖徳太子立像を安置。
そのほか、中世~江戸時代の貴重な庶民信仰資料なども収蔵されていて、中世以降庶民に支えられてきた歴史を物語っているよ。
【元興寺という寺院は2つある?】
東大寺や興福寺と並ぶ巨大な寺院として栄えた元興寺は次第に衰退し、平安時代末期になると曼荼羅が信仰を集めるようになり、元興寺で曼荼羅を祀っていた極楽坊が独立して極楽院として発展するようになるんだ。
そのため、現代では元興寺という名前の寺院は2つあるの。
極楽院の後進である智光曼荼羅を本尊とする真言律宗の元興寺と、衰微した元興寺が東大寺の末寺となった寺で華厳宗の十一面観音を本尊とする元興寺があるよ。
【元興寺は世界遺産に登録されている?国宝もある?】
実は元興寺は世界遺産に登録されているんだ。
世界文化遺産「古都奈良の文化財」は8資産群からなっていて、その中で元興寺は史跡元興寺極楽坊境内という狭い空間の、旧僧坊遺構である国宝極楽堂(極楽坊本堂)と国宝禅室(極楽坊禅室)が登録されているの。
また、東門は重要文化財に登録されているよ。
この元興寺が世界文化遺産に登録されたのは、一重に戦後の文化財保護法による成果と言えるんだ。
多くの人々が地道な調査研究を進めて、国庫を中心とした多額の資金が注入した保存事業が行われ、真正性が証明されたんだよ。
また元興寺の所有する建造物、仏像の多くは文化財として指定を受けているの。
国宝に指定されているのは
・国宝 元興寺極楽堂(極楽坊本堂)
・国宝 元興寺禅室(極楽坊禅室・春日影向堂)
・国宝 五重小塔
だよ。全て建造物となっているんだ。
また重要文化財としては
・重要文化財 東門
・重要文化財 板絵智光曼荼羅、智光曼荼羅舎利厨子
・重要文化財 木造阿弥陀如来坐像(禅定院多宝塔本尊)
・重要文化財 木造聖徳太子立像(十六才孝養像)
・重要文化財 木造弘法大師坐像
など建造物の他、仏像もあるよ。
【ここは見ておきたい!元興寺の見どころスポットとは?】
元興寺を参拝した際にはどこを見ておけばよいだろう?
ここでは元興寺の見どころスポットを分かりやすくまとめてみよう。
<国宝 元興寺極楽堂(極楽坊本堂・曼荼羅堂)>
元興寺極楽堂は日本の国宝に指定されている鎌倉時代新和様の堂々たる建造物。
東室南階大房の三房分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、僧坊の一室(極楽坊)の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝としているよ。
奈良時代の往生人智光、礼光両法師の禅室として、百日念仏講衆の往生極楽院として極楽堂、智光法師感得の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれていたんだ。
南都における浄土教発祥の聖地として有名。
<国宝 元興寺禅室>
元興寺旧伽藍の東室南階大房、遺構、四房分を伝えているよ。
切妻造り、本瓦葺四間四面の簡素な造りであるものの、重厚な趣があるんだ。
僧侶が起居し、学修した官大寺僧坊の遺構で、平面図や雰囲気をよく保っているよ。
建築様式としては鎌倉時代の大仏様であるものの、構造材は奈良時代以前の古材を多く再利用しているの。
中世時代には春日影向堂とも呼ばれていて、近世に客殿、近代には学校舎としても使用されたんだ。
<県指定文化財 小子坊>
禅室の北側にあった東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と称されていたのが「小子坊」だよ。
寛永3年(1663年)、極楽院庫裏として改築されたんだけど、昭和24年(1949年)本堂の南側に移転増築。
極楽院保育所建物とし、昭和35年(1960年)に現在の位置に移動して復旧されたんだ。
<泰楽軒(茶室)>
小子坊の西側に位置し、四畳半の茶室と三畳の水屋からなる。
元興寺の古材と川崎幽玄氏の指物で構成されていて、見事な茶の空間となっているよ。
<重要文化財 東門>
重要文化財に指定されている東門は、元興寺極楽坊の正門として、応永年間に東大寺西南院四脚門を移建したことが記録されているよ。
鎌倉時代風の立派な門で、興福寺大乗院門跡の指図による復興事業の一環であったと言われているの。
<元興寺の瓦>
元興寺極楽堂の北流と西流、禅室の南流の東側の屋根瓦は、一般の本瓦と少し趣が違っていて、丸瓦も平瓦も重なりあって葺かれているよ。
飛鳥時代(法興寺創建時代)の古式瓦を伝えていて、法隆寺玉虫厨子の屋根表現はこの丸瓦を意識しているの。
他に、京都東寺の講堂屋根の一部、深草宝塔寺の多宝塔下層、貝塚孝恩寺の釘なし堂、大分富貴寺大堂などにも残っているよ。
元興寺を訪れた際には、ぜひ屋根瓦にも注目して見ておきたいね。
<かえる石>
元興寺の境内北側にあるガマガエルのような「かえる石」は、古くから有名な奇石なんだ。
現在このかえる石は、以前に関わった有縁無縁一切の霊を供養して、極楽カエルへ成就しているよ。
極楽堂に向って誓願をたてた極楽カエルは、「無事かえる」「福かえる」など衆生の願いを聞いてくれるんだ。
<浮図田>
元興寺を訪れてまず目に付くのは、境内に整然と並べられた石塔。
この石塔は、禅室の北西部石舞台に積み上げられていたものを、昭和63年(1988年)に現在の形に並べ直されたもので「浮図田」と呼ばれているんだ。
浮図とは仏陀のことで、仏像や仏塔が稲田のように並ぶ場所という意味になるよ。
浮図田の中でも特に目を引くのが5つの部品を組み合わせてつくる「五輪塔」
この五輪塔は密教の教義をもとに造られた塔で、地・水・火・風・空という宇宙を構成する五大要素を体現して、大日如来と阿弥陀如来を塔の形で表したものなんだ。
【元興寺にまつわるガゴゼってなに?】
その昔、元興寺の鐘楼に悪霊が変化した鬼が出て、都の人たちをこわがらせたことがあったそう。
その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺。
この雷の申し子は、鬼の髪の毛をはぎとって退治したという有名な伝説があるんだ。
この話から、邪悪な鬼を退治する雷を神格化して、「元興神」や「八雷神」と呼び、鬼のような姿で表現するようになったんだ。
元興寺にまつわる鬼のことを「ガゴゼ」「ガゴジ」「ガンゴ」と呼ばれ、日本全国にも伝わっていったよ。
淡路や徳島方面の古老によると、昔、泣き止まない子供を諭すのに「ガゴジが来るぞ」「ガゴゼが来るよ」と言ったそう。
また、元気のよい子供のことを「ガンゴ」や「ガン坊」と呼んでいたんだ。