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2021年7月6日古くから朝廷の尊崇の最も厚かった4つの寺院を「四大寺」と呼ぶんだ。
その中で飛鳥時代の四大寺は、飛鳥寺、川原寺、大官大寺、薬師寺のことを言うんだよ。
今回は、飛鳥の四大寺の中でも飛鳥寺についてまとめてみよう。
目次
【飛鳥寺は日本で初めての本格的な仏教寺院】
飛鳥寺は596年、女帝・推古天皇の時代に、仏教を保護した豪族・蘇我馬子の発願によって建てられた日本最古の本格的な大寺院だよ。
当時は現在の約20倍もの広さがあった壮大な寺院で、塔を中心に東、西、北の3つの金堂を配置し、外側には回廊が廻らされていたんだ。
「法興寺」「元興寺」とも呼ばれていて、朝鮮半島から多くの先進技術者が呼ばれて仏堂や塔の建設に関わっと言われているの。
また飛鳥寺では日本で初めて瓦を製造し、建設に使われたんだ。
飛鳥寺を中心に天皇の住居置かれ、中国、朝鮮との国際交流によって芸術や学問が盛んになっていくの。
この地は日本で初めての首都として約100年間、飛鳥文化が栄えたんだ。
つまり飛鳥寺は文明国家である日本の原点とも言えるお寺だよね。
平城遷都に伴って、奈良の地に新たに元興寺が建立されて以後は、飛鳥寺は「本元興寺」と呼ばれたよ。
元興寺の建立時には、飛鳥寺に使われた建築材も運ばれ再利用されたの。
瓦もそのまま使われて、現在に至っているんだよ。
一方、飛鳥寺(本元興寺)鎌倉時代には伽藍の大半が焼失してしまい、現在の本堂は江戸時代(1826年)に再建されたものになるの。
本堂は金堂が建てられていた位置に建ち、そのまま飛鳥大仏が安置されているんだ。
寺の西側には蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔が残っていて、境内には山部赤人の歌碑もあるよ。
【飛鳥寺を建てた蘇我馬子の建立目的は?当時の先端技術を駆使して建てられた?】
飛鳥寺を建立したのは豪族・蘇我馬子だよ。
蘇我馬子は用明2年5月に、政敵であった物部守屋を倒したんだ。
この戦いでは聖徳太子も蘇我氏の陣営だったそう。
この戦いに勝利した蘇我馬子は全権力を手中に収めることになったものの、それを確固たるものにしたかったんだ。
そこで、強大な権力を皇族、豪族、民衆に誇示するために、巨大で斬新な建造物「飛鳥寺」を建立したんだよ。
当時の伽藍配置は南大門、中門、塔、中金堂、講堂と一直線上に並び、塔の東西には金堂を配置する「一塔三金堂」式伽藍だったんだ。
この伽藍配置は、高句麗の寺院跡によくみられる配置で、当時の朝鮮半島の寺院建立形式が色濃く反映されていることが分かるよ。
また飛鳥寺の建築には、古代朝鮮半島の先端技術が導入されているんだ。
蘇我氏と結びつきが強かった渡来人につながる朝鮮半島の百済国などから6人の僧、寺大工、露盤博士、瓦博士、画工などの派遣を受けたという記録が残っているの。
彼らの指導を受けながら飛鳥寺は建立されたと考えられているよ。
【飛鳥寺は日本仏教の先導者となる】
飛鳥寺の完成を契機に、仏教は豪族へ急速に広がりを見せ興隆したよ。
飛鳥寺は興隆の中心であり、先導者として重要な役割を果たしたんだ。
聖徳太子の師といわれる高句麗の高僧恵慈は、飛鳥寺に住して本格的な教学研究の場となっていったの。
三論宗や法相宗を初めとする日本仏教は、全てこの飛鳥寺から出発し発展したんだ。
日本の仏教のルーツは飛鳥寺と言っても過言ではないんだよ。
【飛鳥寺の「槻の樹の広場」で中大兄皇子と中臣鎌足は出会った?】
飛鳥寺西門と甘樫丘の間には、欅(けやき)の巨木を中心とした広場があったんだ。
その広場は「槻の樹の広場」と呼ばれていて、飛鳥「京」の象徴的な空間となっていたの。
槻の樹の広場は、『日本書紀』にも度々登場していて、外国使節の饗宴など様々な国家的儀礼が執り行われていたんだ。
広さは、飛鳥寺西側に南北200m、東西120mの範囲であったと推定されているよ。
実はこの「槻の樹の広場」は中大兄皇子と中臣鎌足が初めて出会った場所でもあるんだ。
蘇我入鹿を謀殺した中大兄皇子と中臣鎌足らは、直ちに飛鳥寺に陣を構えて、蘇我本宗家の逆襲に備えたの。
蘇我本宗家である蘇我蝦夷・入鹿の居城は飛鳥寺の西を流れる飛鳥川を挟んだ甘樫丘にあったよ。
蘇我蝦夷らの動きを察知して、それを封じるには飛鳥寺は最適な場所のあったんだ。
結局は、蘇我蝦夷は頼りにしていた腹心の高向臣国押や漢直らが武器を捨てて逃亡したため、なすすべ無く館に火を放ち自害するというあっけない結末で収束するんだ。
そうして蘇我本宗家は滅亡したよ。
また時代は移り、壬申の乱の際には「槻の樹の広場」に大友皇子の本陣が置かれ兵士で埋め尽くされたそう。
「槻の樹の広場」は飛鳥をめぐる重要な歴史の転換点に度々登場する重要な場所だったんだ。
【本尊の飛鳥大仏は日本最古の仏像】
飛鳥寺の本尊である銅造釈迦如来坐像は重要文化財に指定されており、通称「飛鳥大仏」と呼ばれ親しまれているよ。
この飛鳥大仏の鋳造は推古天皇17年(609年)であり、日本最古の仏像なんだ。
鞍作鳥(止利仏師)によって、高さ3mで、当時の銅15トン、黄金30kgを用いて造られたとされているよ。
この飛鳥大仏は多くの苦難を乗り越えた大仏様なの。
鎌倉時代の建久7年(1196年)には火災によって大きく破損。
その後に修復されたものの、頭部と右手指の一部のみが創建当時のままなんだよ。
日本最古の仏像でありながら国宝には指定されていないのは、火災によって破損され大部分が後世の作だからなんだ。
ただ飛鳥大仏は飛鳥彫刻の最高傑作と評されていて、お顔には口元にわずかな微笑みを浮かべているの。
この微笑みは古代ギリシャのアルカイックスマイルと呼ばれていて、目はアーモンドのような形をしているのが特色。
1400年もの間、同じ場所で時代の変遷を見守ってこられた優しい姿は、心に安らぎを与えてくれるよ。
【花会式が日本で最初に行われた飛鳥寺】
飛鳥寺では毎年4月8日は花会式が行われるよ。
この花会式は、お釈迦様の誕生をお祝いする法要で、日本で初めて花会式が行われたのは飛鳥寺なんだ。
花会式の当日は、本堂正面の扉が開くから、大仏様を外から参拝することができるよ。
【飛鳥寺を参拝時にチェックしておきたいおすすめスポットとは?】
・本堂
飛鳥大仏が安置されている本堂は、江戸時代の文政8年(1825年)に建てられたもの。
創建時に、この位置に中金堂があったとされているよ。
当時の本堂は極彩色の伽藍だったの。
・飛鳥大仏(重要文化財)
重要文化財にも指定されている飛鳥大仏は日本最古の仏像。
609年に当代一流の仏師であった仏師・鞍作鳥によって作られたものだよ。
面長でアーモンド形の目元に飛鳥彫刻の特色が色濃く見られるんだ。
・塔跡表示柱
塔跡を表示する標柱で、この地下2.7mのところに石礎があったよ。
発掘調査によって仏舎利(お釈迦様の遺骨)や金・銀・めのうなどの宝物が発見されたんだ。
・石仏三体
大聖不動明王、観世音菩薩、弘法大師の石仏が三体並んでいるよ。
水をかけてお祈りすると願いが叶うと言われているんだ。
良縁成就、商売繁盛、学業成就などご利益があるそう。
・鐘楼
1745年に建立された鐘楼。
梵鐘は太平洋戦争の際に供出され、1958年に新しく鋳造。
美しい余韻を残す鐘の音に癒されるよ。