武田信玄は病死だった?信玄の死を3年間隠し続けたって本当なの?
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2021年1月10日
「麒麟がくる」第37話では、将軍・足利義昭が信長に兵を挙げたよね。
しかし、義昭の頼みの綱であった武田信玄は、甲斐の帰路で亡くなってしまい、義昭の戦略は失敗に終わるんだ。
信長はこれによってさらに勢いをつけて、朝倉・浅井連合軍を討ち果たすよ。
全てが思惑通りにいった信長の前に、蘭奢待(らんじゃたい)が披露されたんだ。
今回はこの蘭奢待についてまとめてみよう。
目次
【蘭奢待(らんじゃたい)とは何?】
信長が所望した蘭奢待(らんじゃたい)とは、天皇の許しがなければ拝観することすらできない正倉院の宝物なんだ。
蘭奢待は室町幕府の3代将軍・足利義満、6代将軍・足利義教、8代将軍・足利義政と、ときの権力者がこぞって欲しがった香木(こうぼく)のこと。
香木とは、心地よい芳香を持つ木片や木材のことで、一般的には白檀(びゃくだん)、伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)などのことを言うよ。
奈良時代、中国を経由して聖武天皇の手に渡ったその香木は、「蘭奢待」という名前が付けられ、権力や権威の象徴として天下人達の憧れの存在になったんだ。
足利将軍家の3代義満、6代義教、8代義政によって切り取られた跡があるんだよ。
つまり織田信長が蘭奢待を切り取ったということは、これら歴代将軍の名と肩を並べるということ。
事実上、正親町天皇からも「それに値する武将」だと認められたことになり、信長の権勢を広く世間に知らしめることになったんだ。
蘭奢待は現在も聖武天皇ゆかりの宝物を集めた正倉院に収蔵されているよ。
古くから「天下第一の名香」とうたわれる蘭奢待は、全長156cm・重量11.6kgの巨大な沈香で、正式名称は「黄熟香(おうじゅくこう)」というの。
成人女性ほどの大きさがある蘭奢待の原産地はベトナムからラオスにかけての山岳部とされているんだ。
雅名である「蘭奢待」の3文字には、それぞれに「東」「大」「寺」の文字が隠されているんだよ。
【沈香とは?】
蘭奢待は沈香なんだけど、この沈香はジンチョウゲ科の樹木が幹の中に分泌した樹脂成分を採取したものなんだ。
この樹脂は、風雨にさらされる、害虫に食われる、傷つくなどのダメージに対する生体防御反応して分泌されて、1000年以上の年月を経てようやく採取できるようになるの。
その樹脂の中でも質のよいものは伽羅(きゃら)と呼ばれていて、現代では金の5倍以上の価格で取引されているほど非常に貴重で高価なものなんだ。
蘭奢待という名前は、聖武天皇によって名付けられたんだ。
よい香りを意味する「蘭奢(らんじゃ)」という言葉をもじったものと考えられていて、蘭、奢、待の各文字にはそれぞれ「東」「大」「寺」の文字が入っていることから、東大寺の別名とも言われているよ。
ちなみに明治天皇は、聖武天皇が手に入れてから約1200年が経過した明治10年(1877年)に正倉院を訪れて蘭奢待を切り取り、その一片を焚いたんだ。
それでも昔と変わらずよい香りがしたと伝えられているよ。
【信長など数々の武将が蘭奢待を切り取った】
蘭奢待には切り取った跡が複数個所残っていて、室町幕府8代将軍・足利義政、織田信長、明治天皇が切り取った場所には、それと分かるように付箋がつけられているんだ。
2006年調査では、蘭奢待が切り取られた跡は38箇所もあったそう。
同じ箇所を切り取られている可能性があるので、50回以上は何者かによって切り取られていると考えられているんだ。
信長が正親町天皇の許しを得て蘭奢待を切り取ったのは天正2年(1574年)3月のこと。
信長は天皇を超える存在、つまり神になろうとしていたのでは?と言われているから、蘭奢待を切り取ることで正親町天皇を威圧し、自身の存在を世に知らしめようとしていたのであろうと考えられているの。
「信長公記」によると、信長は長さ6尺の長持ちに収められた蘭奢待を多門城に持ち帰り、御成の間の舞台に置き「末代の物語に拝見しておけ」と家臣たちに披露したそう。
過去の例に習って、足利義政の切り取り跡の横部分、1寸8分(約5.5㎝)ほど切り取ったんだ。
蘭奢待を切りとったのは、足利義政以来だったんだよ。
信長は切り取った蘭奢待の一部は正親町天皇に献上したの。
正親町天皇はその一部を元関白の九条稙通に贈ったそう。
そこに添付された手紙には、「蘭奢待の香り 近きは伏せられ候。このたび不慮に勅封をひらかれ」とあったんだ。
この文面からも、強引な信長の要請に、正親町天皇は応じざるを得なかった無念が感じられるね。