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二条晴良をご紹介!エリート中のエリートであった関白・二条晴良とは?

 

「麒麟がくる」第29回では、三好一派が推す足利義栄の将軍擁立に助力した近衛前久が関白から失脚したよね。
この関白失脚に関与したのが、朝廷内の対抗勢力であった二条晴良なんだ。

 

では、二条晴良はどんな人物だったんだろう?
今回は、二条晴良についてまとめてみよう。

 

【二条晴良ってどんな人物だったの?】

 

「麒麟がくる」では小藪千豊さんが演じている二条晴良は、二条家の当主で関白職だったんだ。

 

二条晴良は1526年生まれの戦国時代の公卿・二条家の14代当主。
1545年から次男・二条良豊と共に、周防の大内義隆を頼って山口に滞在し、その間に内大臣、右大臣となったんだ。

 

さらに左大臣を経て、わずか23歳という若さで関白・藤氏長者となったんだよ。
この藤氏長者とは、藤原氏一族全体のリーダーという意味なんだ。

その若さでリーダーになるとは本当にすごいことだよね。
まさに二条晴良はエリート中のエリートという存在だったんだよ。

 

将軍レモン
将軍レモン
若いのにすごい出世コースです!!
足軽レモン
足軽レモン
小藪千豊さんが演じるとなんだかエリートエリートには見えないですけど笑

 

【信長上洛後に関白に返り咲き、信長の命を救った二条晴良】

 

二条晴良は1553年に関白を一度辞任しているんだ。
けれど、1556年に准三后となって織田信長が京都に上洛すると再び関白に返り咲いたんだよ。

 

さらに1570年には足利義昭の命を受けて、信長と浅井長政・朝倉義景連合軍との調停も務めて、和睦を成立させるなど数々の功績を残しているの。
二条晴良のおかげで織田信長は岐阜城に戻れたと言っても過言ではないんだよ。

 

レモン姫
レモン姫
二条晴良さまがいてくれて信長さまも助かったんです!

 

【近衛前久と二条晴良の会話に出てきた鐚銭(びたせん)】

 

「麒麟がくる」の第26回では近衛前久と二条晴良のやり取りで、鐚銭が出てくるよね。

 

この鐚銭は悪銭(あくせん)など色々な呼び方をされていたんだ。

 

この鐚銭とは欠けがあるような粗末な銭のこと。
「びた一文」という語源は、この鐚銭から生まれたと言われているんだよ。

ただこの鐚銭は現在では骨董として非常に価値が高くて、びた一文の価値ではなく、十分に価値のある銭になっているの。

 

当時の銭は異国との交易でも使用されていて、海外でも使用できる共通通貨としても機能していたんだって。
そのため、たくさん消費して、なくなるよね。
銭は異国の銭で渡来銭と呼ばれていたんだけど、それが無くなって国内でも製造されたものが「鐚銭」なんだ。

 

ドラマでの演出は、この時期にちょうど鐚銭がたくさん製造され始めていたところを描いているんだよ。
さらに時代が進んで、安土桃山時代になると、鐚銭ではなく、金銀が主流となって大判小判が登場するよね。

 

足軽レモン
足軽レモン
鐚銭(びたせん、びたぜに)は今ではすごい価値になっているけど、昔はさほどでもなかったんだよね。時代が流れて骨董品になったのですから。

 

 

【二条家と近衛家は1000年以上続く名門の公家】

 

二条家と近衛家はどちらも1000年以上続く名家で、藤原一族の末裔なんだ。

その原点は飛鳥時代、大化の改新頃と言われているんだよ。

近衛、二条、九条、一条、鷹司の五家は、五摂家と呼ばれており、藤原一族の最上位の方だったんだ。

 

五摂家の一族が関白に任じられていて、その中の筆頭が近衛家だったんだよ。

 

ちなみに二条家は最後の関白を輩出していて、近衛家は現在の日本赤十字社の社長さんなんだ。

ドラマでは関白の座を取り合って、近衛前久は関白を失脚することになるんだけど、立場で言うと二条家よりも近衛家の方が上であったと言われているよ。

 

レモン姫
レモン姫
近衛家は現在の日本赤十字社の社長さんってすごいよね!
足軽レモン
足軽レモン
1000年以上続く名家というだけでもすごいです!!