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2020年10月20日
「麒麟がくる」第28回では、片岡鶴太郎さん演じる摂津晴門が登場したね。
室町幕府のラスボスとも言える悪役「摂津晴門」はどんな人物だったんだろう?
ここでは摂津晴門についてまとめてみよう。
目次
【抵抗勢力のラスボスとなる摂津晴門】
「麒麟がくる」の第27回のラストでは、越前で浪人暮らししていた光秀がパイプ役となって、織田信長は足利義昭を奉じて上洛を果たしたね。
いよいよ、ここから光秀は幕臣として一気に歴史の表舞台へと駆け上がっていくので、ドラマもどんどん盛り上がっていくよ。
光秀だけではなく、信長も幕府を立て直して、自分の権力をさらに拡大しようとしていくんだ。
その新しい動きに対して、旧勢力である室町幕府のラスボスといえるのが、摂津晴門なんだよ。
摂津晴門は幕府政所頭人で、義輝、義昭に至るまで室町幕府の執務を取り仕切っていたの。
幕府の存続を第一に考える保守的な人物で、ドラマ内では信長とともに上洛した光秀と幕府のありようを巡って、ことあるごとに対立するの。
信長に対しても、田舎ものから出てきたやつと毛嫌いするんだ。
片岡鶴太郎さんが演じる悪役・摂津晴門のさげすんだ目つきや顔つきにぜひ注目しながらドラマを見てみてね。
【摂津晴門はどんな人物だった?】
摂津晴門は戦国時代の武士で、足利将軍家の家臣、政所執事だったんだ。
摂津氏は鎌倉幕府の時代からその崩壊後、さらには南北朝時代を経て室町幕府にも参画していた中原氏の一族だよ。
元は、摂津守に叙任されていたことから姓を「中原」から「摂津」へと改めたんだ。
摂津晴門は摂津元親の子として誕生し、12代将軍・足利義晴の名前を1文字もらい「晴直」、のちに「晴門」と名乗ったよ。
摂津晴門は、義晴の子・13代将軍・足利義輝と15代将軍・足利義昭の兄弟の家臣として仕えていたんだ。
永禄7年(1564年)に敵対していた政所執事・伊勢貞孝に代わって、新たな政所執事として起用。
この政所執事という職は、長きにわたって伊勢氏が独占していた職だったんだけど、義輝に近く、官途奉行や地方頭人などを歴任して、京都の要人との人脈も持っていた晴門が相応しいとみなされ起用されたそう。
この翌年に永禄の変が起こり義輝が死去。
永禄11年には義昭が将軍に就任すると、摂津晴門は再び政所執事として起用されたんだ。
しかし、神宮方頭人を兼ねていた晴門が藤波康忠に相談せずに、伊勢神宮の禰宜職に関する武家執奏を行ったとして義昭の怒りを買うことに。
このことが原因で、摂津晴門は政所執事から外され、伊勢貞興が政所執事に任じられているよ。
その後は記録上の登場がほとんどなく、まもなく死去したか引退したとみられているんだ。
【政所執事とは?】
政所執事は政所頭人とも呼ばれているよ。
政所は幕府の財政と領地・民事にかかわる訴訟を司る役所で、執事とはその長官のことだったの。
室町幕府の政所執事は、代々伊勢家が世襲していたという話は先ほどしたよね。
代を重ねるごとに伊勢家の権力は大きくなり、足利義光でさえ、伊勢家の政所支配に介入することが難しくなっていたと言われているんだ。
しかし、この伊勢家による政所支配が崩れて足利義輝、義昭の2人の将軍の元で、政所執事となったのが摂津晴門なんだよ。
1564年に伊勢貞孝に代わって、政所執事に任命された摂津晴門だけど、なぜ義輝は晴門を任命したんだろう?
義輝の狙いは、今まで支配の及ばなかった政所の掌握を摂津晴門を通じて実現し、将軍権力の回復を図りたかったんだ。
また、晴門は広い人脈を持っていたこと、私的にも足利義輝に近い存在であったことも、任命の理由となっているよ。