本能寺の変で討たれた織田信長の遺体は見つかっていない?信長の遺体はいったいどこに消えたの?
2020年9月15日共に信長の家臣であった明智光秀と羽柴秀吉の関係性とは?
2020年9月17日NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送再開に合せて、明智光秀に所縁のある兵庫県丹波篠山市では、光秀にちなんだグルメフェアが開催されているそう。
地元特産品をふんだんに使った「明智光秀の昼ご飯定食」や光秀の家紋にちなんだ「桔梗定食」、戦国時代に合わせたイノシシバーガー「合戦めし」など気になるグルメがたくさん。
光秀自身も主君である織田信長がグルメだったため、グルメになったと言われているんだよ。
ここでは戦国時代の食事についてまとめてみよう。
目次
【戦国時代の武将はグルメぞろい】
戦国時代の料理なんておいしくないのでは?と思っている人はいない?
実はそんなことはなくて、戦国時代の武将はグルメ揃いだったから、おいしいものを食べていたと言われているんだよ。
客人を招いてごちそうをふるまうということは、自分の権力を誇示できるパフォーマンスだったため、有名な武将はみんなグルメだったんだ。
【明智光秀の主君・織田信長はグルメだった】
明智光秀が仕えていた主君・織田信長は、相当な食通、グルメ家だったと言われているんだよ。
信長の好きだった食べ物は、味噌味の焼き鳥と干し柿だったそう。
どちらも美味しそうだよね。
そのほかにもポルトガルやスペインから伝わってきた南蛮由来の食べ物も好きだったんだって。
ワイン、金平糖、ビスケットなども好物であったと伝えられているの。
異国の目新しいものにもすぐに挑戦してみる織田信長はさすが天下統一を目指した開拓者という感じだよね。
【信長が主宰するパーティーで光秀を餐応役に抜擢した】
信長は自らが主宰する宴で、家臣である明智光秀を餐応役に選んだんだ。
餐応(きょうおう)役とは、接待するための役職のようなもの。
信長が主宰するパーティーとは、甲州征伐で活躍した徳川家康をねぎらうためのものだったんだ。
信長は自らが居城としている安土城に徳川家康を招いて、手厚くする接待するように光秀に饗応役を任せたと言われているよ。
【なぜ信長は光秀を饗応役に選んだの?!】
織田信長は、尾張国育ち。
尾張国は現在でいう愛知県で、その地方は濃い味付けだったそう。
今でも、味噌カツや味噌煮込みうどん、手羽先など名古屋料理は味が濃いものが多いよね。
一方、京の料理は薄味がメインで、味の好みが違ったそう。
また尾張国は京に比べると田舎だったため、田舎育ちの信長には京の薄味がなれなかったんだって。
ある時、室町幕府滅亡後、京で一番の料理の腕を持っていると言われる三好家の料理人を雇おうと考えた信長は、料理人に1品作らせたんだ。
その料理を食べた信長は大激怒。
味が薄くてまずいと、大騒ぎになったんだって。
料理人が、信長に対して「もう1品作らせてください」と懇願して、信長の好きな尾張風の濃い味付けにして出したところ、信長はご満悦になったんだ。
その料理を気に入った信長は、料理人を雇ったんだよ。
この一件からも、信長は自分の舌は京風ではないということを理解したそう。
だからこそ、京育ちで、舌が繊細な明智光秀に餐応役という大役を託したと言われているんだ。
【餐応役の光秀が考えた天正十年安土御献立とは?】
餐応役の明智光秀が、信長の思いに応えるために、自分の持っている全ての知識を詰め込んで、安土の宴に出す料理を献立から全て考えたそう。
それが「天正十年安土御献立」なんだ。
天正十年安土御献立は、信長が徳川家康を安土城に招待した天正10年5月15日に出した料理のメニューだよ。
その献立の詳細に関しては、(文政5年)の「続群諸類従」に書き記されているんだ。
天正十年安土御献立は
・15日をちつき
・15日晩御飯
・16日御朝めし
・16日之夕、めし御ゆつけ
の4回分だったそう。
「をちつき」とは来訪者に最初に提供する軽食のことを言うんだよ。
戦国時代は今とは違い、1日2食(朝・夕)が基本だったんだ。
昼頃に到着した来訪者には、をちつきを提供しておもてなしをしていたと言われているよ。
【天正十年安土御献立はどんなメニューだったの?】
では今回は15日出されたをちつきと、15日の晩御飯のメニューを詳しく見ていこう。
・をちつき
本膳:たこ、タイの焼き物、菜汁、なます、香の物、ふなのすし、御めし
二膳:塩辛、鰻のかば焼き、ほや冷や汁、ふとに、貝あわび、ハモ、鯉の汁
三膳:焼き鳥、カニ、山の芋つる汁、巻貝、すずき汁
四膳:まきするめ、鴨の壺焼き、しいたけ、ふな汁
五膳:まな鰹さしみ、生姜酢、鴨汁、けつり昆布、ごぼう
御菓子:やうひもち、まめあめ、干し柿、はな昆布、から花
軽食と言ってよいのか?というほどの品数でとても豪華だよね。
信長の好物である焼き鳥や、徳川家康の好きなタイも入ったメニューとなっているよ。
・晩御飯
本膳:煮物三品盛り合わせ、こまごま、鮎の寿司、タイの干物、御めし
二膳:串アワビ、こち汁、奈良漬け
三膳:角煮、鯛のあつ物、つほ、かくもり、つほもり、かわらけの物
光秀が考えた献立は、海の幸も山の幸も、川のものもたくさんの素材を使用していてとても豪華。
来訪者である家康の好みも考えて、主君・信長好みのメニューも詰め込んだ最高の献立であったと言えるね。