高山城
2020年3月3日
碇山城
2020年3月4日

虎居城

虎居城(とらいじょう)は鹿児島県薩摩郡さつま町にある山城です。
築城年代は明らかになっていないものの、平安時代末期に大前氏によって築城されたと言われています。

大前氏は祁答院の郡司となり、自然地形を利用してこの虎居城を築いたそうです。
その後、何度も城主が変わり、最後は宮之城島津家が居城していたと言われています。

虎居城址の西北東面を迂回するように川内川が流れています。
川内川が城を囲むように180度ヘアピン状にカープしており、当時は川内川を自然のお堀として利用していたことがよく分かります。

虎居城址は現在、宮之城高校付近を中心に南北に長く、南側が大手です。
大手付近の民家土手には標柱が建照られています。宮之城高校の西側にある道を北に向かって行けば曲輪群が残存しているでしょう。

〒895-1803 鹿児島県薩摩郡さつま町宮之城屋地

 

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虎居城は長い年月の間、領主の興亡により何度も城主が変わっています。
1390年頃には出水市の大重悪四郎が虎居城を攻め、城の下の川内川に追い込まれ敗戦し、首を獲られました。

さらに1459年には城主渋谷徳重の姫など8人が川内川で溺死し、徳重は悲劇の城主と呼ばれたそうです。

この事件から、虎居城の下を流れている川内川の瀬を「八女の瀬」と呼ぶようになりました。
徳川幕府の一国一城の令によって、虎居城は廃城となりますが、廃城後も家臣の一部は城から離れられず城主不在の城内に住み続けたと言われています。

地形柄、虎居城跡の対岸では昔からよく洪水があったそうで、洪水対策として鶴田ダムを建設。
ダム建設後も、想定を超える大雨によって1972年と2006年に2度洪水が起きています。

 

鹿児島県の御城印は

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