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品川台場(お台場)

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1853年ペリーが来航して幕府に開国要求を迫ります。これに脅威を感じた江戸幕府は、洋式の海上砲台を建設させました。

工事は急ピッチですすめられ8か月の工期で、ペリーが2度目の来航をする前に砲台の一部が完成。これを「品川台場」と呼んだそうです。
お台場という呼び方は、幕府に敬意を払い、台場に「御」をつけ、御台場と称していたことが由来となっています。

台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式の砲台で、海上に第一台場~第三台場までが完成します。
その後に、第五台場~第六台場も完成しますが、第七台場は未完成のまま終わります。

現在は台場公園として開放されている第三台場と、他の埠頭とつながっていない第六台場が残されています。
この完成した台場の防衛は、江戸湾海防を担当していた川越藩、会津藩、忍藩が担っていました。

砲台は十字砲火に対応しており、敵船を正面から砲撃するだけではなく、側面からも攻撃することができたそうです。
しかし開国時には一度も使われることがありませんでした。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

 

 

お台場といえば一大観光スポットで、ショッピングセンターやテレビ局などたくさんの施設が集結しています。
デートや観光で訪れる人が非常に多いお台場ですが、お台場には対黒船の海上要塞が今でも東京湾に浮かんでいるのです。

海上要塞の遺構である品川台場は、ゆりかもめ線お台場海浜公園より北へ徒歩13分の場所にあります。
江戸時代の人口海上要塞の記帳な遺構であり、国の史跡にも指定されているんです。

品川第三台場は1854年築造で、お台場地区に陸繋がりにされて自由に出入りできるようになっています。
玉置所や弾薬庫などの跡も残っています。砲台は現存しないものの、模型が置いてあるのでイメージしやすいです。
また交代で兵士が詰めた休憩所となった兵舎跡もあります。

第六台場は現存するものの、渡ることはできません。レインボーブリッジの上から綺麗にみることができます。