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名護屋城

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名護屋城は肥前国松浦郡(現在の佐賀県唐津市)にあったお城。
太閤豊臣秀吉が鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城であり、現在は国の特別史跡に指定されています。

名護屋城は海岸沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置。
もともとその場所には垣副城があったが、豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際に大がかりな築城を行います。
企図は波戸岬の丘陵を中心に築かれた平城であり、5重7階の天守や御殿が建てられました。
また周囲には130か所の陣屋がおかれ、城下町が築かれ最盛期には10万人をこえるほど繁栄したそうです。

名護屋城は本丸、二の丸、三の丸、山里曲輪などを配しました。
城跡からは金箔を施した瓦が出土しており、天守に葺かれていたものと考えられています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931−3

 

・御城印の入手場所

佐賀県立名護屋城博物館 1階受付カウンター

300円

名護屋城の城の面積は約17ヘクタールに及び、当時では大坂城に次ぐ規模を誇っていたそうです。
周囲には130以上の諸大名の陣屋が構築されており、現在は名護屋城跡の23か所の陣跡が残っています。

名護屋城跡を中心に半径3㎞の範囲に広がる遺跡群は、全国から大名が集結して陣屋を構築し在陣するという日本歴史上にも類を観ない、広域で特異的な遺跡群となっています。

また、文禄・慶長の役では朝鮮半島から多くの人々が大名によって日本に連れて来られました。
その結果、九州各地で製陶が行われるようになり、佐賀県を代表する唐津焼、有田焼なども、朝鮮半島から連れてこられた彼らが造り始めたといわれているのです。

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