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向羽黒山城

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向羽黒山城は福島県大沼郡会津美里町にあるお城です。
城跡は国の史跡に指定されている山城になります。

向羽黒山城は、白鳳三山の最高峰・岩崎山(別名:向羽黒山)に蘆名盛氏が1568年に築城。
城の規模は、東西1.4m、南北1.5m、面積は50ヘクタールにもなりました。
川や崖などの天然の要害と、土塁や堀などの防衛施設が至るところに造営されています。

現在、向羽黒山城跡は公園となっており、岩崎山山頂の本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、伝盛氏屋敷跡などの郭をはじめ、堅堀、空堀、虎口、石塁の跡など戦国山城の名残が城跡内の各所に残されています。
2017年には続日本100名城にも選定されました。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒969-6133 福島県大沼郡会津美里町船場甲

 

向羽黒山城の遺構の巨大さは東北随一です。
その広さは上杉謙信の居城であった春日山城をしのぐとも言われており、向羽黒山城は全国でも有数の山城になります。

盛氏以降の時代にならないと出現しない遺構もたくさん存在するため、歴代の会津領主が改修を繰り返していたことが分かります。
豊臣秀吉の死後徳川家康が改権をつかむと、秀吉の重臣であった上杉景勝にも圧力をかけてきました。
有名な「直江状」は会津で書かれたと言われています。

家康の会津攻撃の報を聞き、景勝は神指城の築城をやめて、白河方面の防塁を築き始め、向羽黒山城にも手を加え始めます。
景勝は、会津に入り真っ先に向羽黒山城を2年かけて大改修しているのです。

上杉景勝・兼続は、向羽黒山城を対家康の最後の砦として考えていたとされる説もあり、会津で戦いが起こっていれば、向羽黒山城が最も重要な砦になっていたでしょう。