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盛岡城

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盛岡城は岩手県盛岡市にあるお城で、国の史跡に指定されています。

盛岡藩南部氏の居城である盛岡城は、現在の盛岡市中心部にあった花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城です。
本丸には天守台が築かれたものの、幕府への遠慮から天守は築かれず、天守台に御三階櫓が建造され、代用されたと言われています。
1842年に12代利済によって天守へと改称されました。

盛岡城の白い花崗岩(火成岩の一種)で組まれた石垣は、土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っていました。
建造物時代は明治初頭に解体され、現存するものは少なく、城内に移築された土蔵と門が残るだけです。
現在の盛岡城址は岩手公園として整備されています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1−80

 

盛岡城址には石垣が残っています。

この石垣は壮大で、東北地方では珍しい特殊なお城なんです。

東北では、唯一の石垣を技術集団、穴太衆(あのうしゅう)が作ったものとされています。

基本的に石垣の城は、西国で発達したと言われており、主に豊臣秀吉のもとで築造技術を磨いた西国大名によって作られていました。
そのため、東北地方、東日本地方では総石垣のお城は少ないです。

それにも関わらず盛岡城が石垣づくりのお城であったのは、秀吉から築城を命令されて築かれたお城だったからなのです。
この盛岡城は豊臣政権の奥州支配拠点に置かれた城の一つであったと言われています。

盛岡城は築城期間が約40年と長く、工期が4時期に分かれているので、様々な積み方の石垣が混在しています。

石垣の加工技術は時代が経過するとともに向上するので壮大さや曲線美を見ると、その時代背景が分かります。