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三木城

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三木城(みきじょう)は、兵庫県三木市にあった日本のお城で平山城です。
別名、釜山城や別所城とも呼ばれており、小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称されていました。

三木城といえば、三木合戦(三木の干殺し)です。
これは、天正6年(1578年)から2年(20ヵ月)に渡って、織田方の羽柴秀吉と別所長治との間で兵糧攻めなどの激しい攻城戦が繰り広げられたことで知られています。

元和3年(1617年)の 一国一城令により廃城となり、元和5年(1619年)三木城の遺材も用いられた明石城が完成したとされています。
写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒673-0432 兵庫県三木市上の丸町5

 

三木城は堅城だとされています。
本丸の標高58.2m、比高は約20mの切崖に囲まれています。
さらに南側と北側に空堀が設置されています。

雲龍寺は三木城の城郭の一部だったとされており、三木合戦で開城の際には別所長治が雲龍寺の和尚に愛用品を残し、現在も寺宝として残されています。
また、雲龍寺には別所長治とその夫人の首塚があります。
別所長治は降伏開城の際に、当時の慣わしに従って、照子夫人と3歳になる子を刺殺した後に切腹したと伝えられています。