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基肄城

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基肄城は福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡にまたがる基山に築かれた古代山城です。
城跡は国の特別史跡にも指定されています。

基肄城は唐・新羅連合軍に大敗した後に、大和朝廷が倭の防衛に築城しました。
日本書記には、665年に大野城とともに築いたことが記載されています。

発掘調査では約40棟の礎石建物跡、軒丸瓦・軒平瓦・土器などの出土遺物、頂上部で溜池遺構などが確認されています。
城門は4箇所(2箇所は推定)が開き、残存遺構のある城門は、城内北寄りの「北帝門」「東北門」です。
南門と一連の水門石垣には土塁とともに基肄城に代表する水門遺構があり、通水口は国内最大級と言われています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒841-0201 佐賀県三養基郡基山町大字小倉

 

基肄城は平成30年(2018年)に起こった西日本豪雨の被害を受けました。

基肄城がある佐賀県基山町では、浸水した場所もあり、被害を受けた寺院や田畑も多く、住宅が全壊・半壊するほどの被害を受けたエリアもあったそうです。

特に丸山地区は被害が大きく、この丸山地区から基山山頂に向かう山道の途中には、基肄城の出入り口の1つである水門跡(南門跡)があります。
古代から26mほどの石垣が残っていて、水門は築かれてから1350年以上も経過していますが、最近まで山の水を城外に流し続けてきたのです。
さらに石垣は、2008年から解体・組みなおしが行われ、2015年に保存修理事業が完了したところでした。

土石流によって基肄城跡近くにあった神社は消失してしまいますが、史跡である石垣や水門には直接的な被害はありませんでした。
しかし、水路が土砂によってせき止められてしまったため、水門のせせらぎが失われたそうです。
現在も復旧作業が続けられています。