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飯盛城(飯盛山城)

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飯盛城(飯盛山城)は、大阪府大東市及び四條畷市にあるお城です。
標高315.9mの飯盛山に築かれた山城で、続日本100名城に選定されています。

飯盛城は中世城郭史を研究する上で、非常に重要な位置を占めています。
中世の山城の中ではかなり大きな部類に属しており、強固な要塞でした。
全盛期には南北1200m、東西に500mあり、70以上の曲輪が確認されています。

飯盛城の始まりは、南北朝時代に佐々目憲法が築いたとされていますが、定かではありません。
戦国時代には畠山義堯が河内を支配し、家臣の木沢長政に命じて飯盛山に城郭を構えます。
この時に臨戦的陣城から恒久的な居城に改修されたと言われています。
その後、足利将軍を追放して近畿や四国を制覇した天下人である三好長慶が居城しました。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒574-0011 大阪府大東市大字北條2377

 

足利将軍を追放した三好長慶の居城としても知られている飯盛城は、100を超える区画があり周囲には石垣がめぐらされています。
その石垣造りは織田信長が築いた安土城よりも先であったということが近年の調査で分かってきています。
飯盛城跡からは大量の石垣が見つかっており、本格的に石垣を導入した先駆けであったのです。

織田信長が石垣を用いたのは安土城を築いた1576年頃とされています。飯盛城の石垣はそれよりさらに十数年前の1560年頃とみられています。

石垣は技術力や経済力を誇示するために、織田信長が造ったとされていますが、それよりも早く取り入れていた三好長慶の力を伺うことができますね。
さすが近畿や四国を制覇した天下人であっただけあります。