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田峯城

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かつて愛知県北設楽郡にあった田峯城(田峰城)。
別名「蛇頭城」。

笹頭山の丘陵地に本丸があり、その周辺に武家屋敷などが築かれました。

1470年(文明2)、菅沼定信が自身の本城として築城。
主な城主は菅沼定信、菅沼定忠です。

1575年(天正3)、菅沼定忠は長篠の戦いで破れた武田勝頼一行を迎え入れようとします。
しかし、菅沼定直、今泉道善が入城を拒絶。勝頼一行は命からがら逃避行を強いられることに。

復讐を心に誓った定忠と主席家老の城所道寿は、翌年7月、城に忍び込み、老若男女問わず皆殺しにしました。

1582年(天正10)廃城。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒441-2221 愛知県北設楽郡設楽町田峯城9

 

・御城印の入手場所

田峯城 入場受付

100円

菅沼氏が分裂したきっかけは1556年(弘治2)、当時の城主・菅沼定継でした。

菅沼定直同様、もともと今川氏についていた定継が織田氏に寝返り、今川氏による討伐で敗北。
定継の子・定忠は定直により徳川家康に救済されます。

にもかかわらず、成長した定忠は武田氏の口車に乗って家康を裏切ってしまうのです。
武田派と徳川派に分かれた後、1575年(天正3)の恐ろしい悲劇が起きました。

現在、城跡は田峯歴史の里として整備されており、本丸御殿、本丸大手門、搦手門、物見台が復元されています。
道善塚(道善処刑の地)や首塚、曲輪などの遺構もみられます。