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千早城

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千早城は大阪府南垣内郡にあるお城です。

国の史跡にも指定されており、南北朝時代に楠木正成によって築城されました。
四方を絶壁に囲まれた要塞堅固を誇った連郭式山城で「金剛山城」とも呼ばれています。

千早城は周囲約4km、千早川の渓谷を利用して、四方のほとんどが谷に囲まれています。
城の背後のみが金剛山の山頂に連絡するようになっており、城の最高所は標高673mです。
北条軍を引き受け、楠木正成が奇策を用いた攻城戦の舞台ともなりました。

千早城が舞台となった、千早城の戦いは1333年に後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した河内の武将である楠木正成と、鎌倉幕府軍との間で起こった包囲戦のことです。
太平記によると総勢100万と号する大軍が千早城を方位して、籠城側の楠木軍はわずか数千人足らずの小勢で守ったとされています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早

 

千早城は、金剛山中腹にあったお城で、三方を深い谷が囲み、残りの一方は金剛山の山頂へ連なる尾根となっています。
千早城の城址への道のりは険しいので、登山に行くような心構えで城巡りしなければなりません。

金剛山登山口から千早城址までは徒歩20~30分程度ですが、ずっとのぼり道が続きます。
石階段は550段もあるので、足腰に自信がない人には大変かもしれません。

現在、千早城本丸跡地には千早神社があります。
千早神社は南北朝時代初期に千早城が築城された際、その本丸に城に鎮守として八幡大菩薩を祀って創建されました。
天守、石垣さえも残っていないので、城跡の面影は感じられません。