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明石城

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明石城は兵庫県明石市にあるお城です。
旧明石藩の政庁と藩主の居所が置かれており、別名「喜春城」「錦江城」と呼ばれています。

明石城はJR明石駅北側を降りると、駅ホームより間近に望むことができる平山城です。
本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われており、この地は嘉吉の乱で激戦地でもあります。

明石城は徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として姫路城に次いで着目したお城です。
徳川秀忠より築城命令があり、本多忠政と小笠原忠真が築城から町割りも行ったとされています。

現在明石城跡は明石公園として整備されており、櫓や石垣は1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けたものの全面修復されました。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒673-0847 兵庫県明石市明石公園1−27

 

明石城は巽櫓・坤櫓が国の重要文化財に指定されています。さらに城跡は国の史跡にも指定されています。
この巽櫓・坤櫓は日本に12基しか現存していない貴重な三重櫓であり、広範囲に堀や石垣が残っています。

明石城には東西25m、南北20m、約152坪の天守台はあるものの、天守閣は存在しません。
この天守台は熊本城の天守台と同規模で、5重の天守が建築可能な大きさです。

天守が築かれなかった理由ははっきりと分かっていませんが、当時の主力兵器となる大砲の標的になりやすいためではないか?と考えられています。
また明石城では、大分県にある中津城の天守を移築するという計画もあったそうです。