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信長が就任した権大納言・右近衛大将とはどんな役職だった?官位に就くことによって得られるメリットはあったの?

PD from wikipedia

 

「麒麟がくる」第39回で織田信長は朝廷から権大納言・近衛大将(右大将)に任命されたよ。
武士が官職に就くのは源頼朝がついて以来のことだったんだ。

 

武士として最も高い官位を授けられた信長はどんどん態度が大きくなるよ。

では朝廷から官位をもらうとどのようなメリットがあるんだろう?
まとめてみよう。

 

将軍レモン
将軍レモン
権大納言・近衛大将(右大将)、なんだか凄そうだね!!

 

【まずは権大納言に就いた信長】

 

天正3年(1575年)11月4日に、上洛していた信長は清涼殿に参上して、従三位権大納言に就いたよ。
この時まで信長は無位無官だったので、初めて公卿の仲間入りをしたんだ。

 

信長が就いた権大納言とは右大臣・左大臣に次ぐ天皇の側近という要職だよ。
大臣になれる公家は摂関家や清華家に限定されているんだけど、大納言はそれ以外の家の者でも就くことができるんだ。
信長のこれまでの朝廷への働きや他の公家へと体面などを考えると権大納言への就任は妥当だよ。

 

11月7日には信長は権大納言の御礼を述べるために宮中に参内。
そこで信長は三条西実枝を通して正親町天皇に御礼を申し上げて、天皇から盃を頂戴したと言われているの。

 

レモン姫
レモン姫
天皇様の側近の地位まで登り詰めたんだね!

【近衛大将を兼任することになった信長】

 

その後、信長は権大納言だけではなく近衛大将も兼任することになるんだ。
この近衛大将とは日本の律令官制における「令外官」の一つで、宮中の警護を司る「近衛府」という役職の長官のこと。

 

近衛府自体が左右の2つに分かれているのでそれぞれの長官を「左近衛大将(左大将)」「右近衛大将(右大将)」と呼ぶんだ。

 

左近衛大将、右近衛大将の店員は各1名で権官はなし、官位相当は従三位。

信長は右近衛大将に就任したよ。

 

権大納言と右近衛大将を兼任することになった信長は、義昭の官職・近衛中将の上位に立つことになったの。

これは足利将軍に代わる天下人の地位を象徴していたんだよ。
それ以後、信長は「上様」と呼ばれるようになり、将軍と同等とみなされたんだ。

 

基本的に近衛大将は、摂関家や皇族に連なる家の人が任命される名誉職だったんだけど、平安時代末期に平重盛が就任してからは将軍が任じられることも増えていたの。

鎌倉時代以降には、源頼朝、足利義満、足利義持、足利義教、足利義政、足利義尚、足利義晴が右近衛大将に就任しているよ。
そもそも「幕府」という言葉は、近衛大将の中国の官職名に相当するんだ。

 

戦国武将にとって、官職は形だけのものだったけれど、源頼朝以来は武家の棟梁という意味合いもあったそうで、朝廷からの意思表示にも取れるよ。

つまり朝廷からすると「お金と武力を援助してくださいね」という意味合いがあったんだ。

ちなみに信長の父・織田信秀もまた朝廷への保護策に取り組んでいて、従五位下備後守という官位を得ているよ。

 

実際、信長は朝廷に対して大きな貢献をしてきたんだ。
永禄11年(1568年)に足利義昭を奉じて上洛してからは、皇居の修繕、公家領への徳政令などを実施。

他の大名や武将と比べても信長の朝廷への貢献度は非常に大きかったんだ。
その後、義昭とは対立して戦を起こしたものの、トータル的には朝廷にとって信長は「最も頼れる存在」であったことは間違いないよ。

 

足軽レモン
足軽レモン
どちらのもメリットがあるwinwinな関係になっていったんだね

 

【官位に就くことによってメリットはあるの?】

 

信長は権大納言・近衛大将(右大将)に就くまでは官位はなかったんだ。
では官位に就くことで何かメリットはあるのかな?

 

信長権大納言・近衛大将(右大将)の御礼として、天皇には砂金と反物を献上。
天皇から公家たちにも分配されたんだ。

 

さらにそれとは別に信長から公家衆には所領の分配が行われたよ。
それだけを聞くと、官位をもらっても信長にとっては特にメリットはなく、朝廷側の財政や警護が助かるばかりなのでは?と思ってしまうよね。

 

しかし、信長にとっても官位をもらったことで得られるメリットはあるんだよ。

ここでは官位をもらうことによって得られるメリットをまとめてみよう。

 

<大義名分を得やすくなった>

信長が右近衛大将(右大将)になることで相応の大義名分を見込めるようになるんだ。

信長包囲網を敷かれた際には、将軍や天皇の名前を使って和睦に持ち込むこともできるようになるんだよ。

 

<家臣たちに与えることができる>

当時の武士は勝手に官位を名乗っていたんだ。
しかし、正式に与えられる方が、格が上なのは当たり前。

信長の家臣たちにとっても、主君が正式に就任していれば織田家全体の格が上がることにつながり、明智光秀らに与えられたこともあるよ。

 

 

【太政大臣・関白・将軍へステップアップ】

 

信長は天正5年(1577年)には、右大臣へと就任。
しかしほどなくしてすぐにこれを辞退したんだ。

その後、左大臣への就任を言われたもののこれを拒否し、最終的には太政大臣・関白・将軍を提示されたんだ。

 

将軍レモン
将軍レモン
朝廷でもどんどん地位を確立していった織田信長!次はどんな感じに進むのかな!!
将軍レモン
将軍レモン
麒麟がくるなのに明智光秀様がネタになってないじゃないか笑
レモン姫
レモン姫
やっぱり織田信長様のエピソードありきの明智光秀様。。。笑