筒井順慶と松永久秀は41歳も年が離れたライバルだった!18年間に及ぶライバル関係とは?
2020年12月7日悪役としても知られている松永久秀はどんな人物だった?どんな悪事をしたの?
2020年12月7日
「麒麟がくる」第34回に登場する駿河太郎さん演じる筒井順慶はいったいどんな人物だったんだろう?
ここでは筒井順慶について詳しくまとめてみよう。
目次
【筒井順慶とはどんな人物だった?】
大和の戦国大名として知られている筒井順慶はいったいどんな人物だったんだろう?
筒井順慶と言えば、戦国三大梟雄の1人であった松永久秀と18年もの間激しい戦闘を繰り返したことでも知られているよね。
さらに明智光秀の配下になったと思ったら、本能寺の変が起きて、波乱万丈な生涯を送っているよ。
筒井順慶は天文18年(1549年)生まれで2歳の時に父・筒井順昭が亡くなったため、家督を継いだんだ。
その当時、筒井順慶の地元・大和国には全盛期の松永久秀がいたため、筒井家は四面楚歌の状態でどうすることもできなかったそう。
久秀と筒井勢は折り合いが悪く、久秀には三好長慶という後ろ盾もいたの。
頼みの綱であった筒井順慶の叔父・筒井順政も永禄7年(1564年)に死去。
その翌年に、筒井氏の拠点である筒井城を松永久秀に攻め込まれて、筒井城を追い出されてしまうんだ。
しかし、筒井順慶はその際に城を追われて殺されることはなく、隣国へ逃亡し命拾いをしたよ。
筒井順慶は、筒井城の奪還を目指し、松永久秀と折り合いの悪くなった三好三人衆と協力。
三好三人衆とともに繰り返されたVS久秀の争いは永禄9年(1566年)頃から激化していくことになるよ。
【苦しいながらも波を乗り越えてきた筒井順慶】
筒井順慶は、松永久秀との争いに敗れた後、三好三人衆らの助力を得て反撃を開始したよね。
しかし、織田信長の上洛によって再び久秀優勢の状況なり、筒井順慶は劣勢になってしまうんだ。
でも筒井順慶は諦めないよ。
今度は足利義昭の助力を得て、再起を果たすんだ。
大きな勢力の狭間に立たされて苦しいながらも、筒井順慶は波を乗り越えて生きていくの。
筒井順慶は最後まで「反松永久秀」の基本スタンスを守り続け、信長への接近を図るんだよ。
天正元年(1573年)信長と義昭の間で槇島城の戦いが勃発し、義昭は京から追放。
松永久秀も大和国での支配力を失い、筒井順慶はついに復権を果たしたんだ。
復権を果たしものの、不安定な情勢には変わらなかったよ。
けれど織田信長から正式に大和国の領地を認めてもらったんだ。
【織田軍団の一角となった筒井順慶】
筒井順慶は織田軍団の一角となり、有力者として認められるために一生懸命働いたそう。
一説には織田家にゆかりのある女性を妻にした…という話もあるほどなんだ。
天正3年(1575年)には配下の鉄砲隊50名を長篠の戦いに参加させて、越前一向一揆では筒井順慶自らが従軍することで信長に誠意をもって仕えたんだ。
戦いに明け暮れる日々を送った筒井順慶は信長や明智光秀から信頼を得ていくんだ。
光秀が信長に要請されて、中国エリアで毛利氏と対峙する豊臣秀吉の援軍に向かう際にも、順慶は明智軍と行動を共にしていたんだよ。
順風満帆に見えた時にあの「本能寺の変」が起きたんだ。
【本能寺の変後の筒井順慶】
筒井順慶にとって明智光秀は恩人だったんだ。
織田信長への執り成しを助力してもらっていただけではなく、日頃から教養を通じて親しい仲であったと言われているよ。
当然のことながら、本能寺の変の後、順慶は光秀から味方になってくれないか?という誘いが届いているんだ。
順慶はなかなか決断できずにいたんだけど、最終的には中国大返しで畿内へ迫ってくる秀吉再度に加わることを決定したの。
しかし山崎の戦いは1日でケリがついてしまい、結局順慶は戦いに参加できなかったんだ。
順慶は秀吉の怒りを買うものの、大和での支配権は認められたの。
しかし、順慶は天正12年(1584年)に起きた小牧・長久手の戦いに参加し、力尽きて亡くなってしまうよ。
享年36歳という若さだったんだ。
順慶が亡くなった後、大和国の支配については秀吉の弟・豊臣秀長のものとなっていくよ。
順慶の跡継ぎの筒井定次は伊賀へ転封されてしまうんだ。