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2020年5月14日天正通宝の目的と金銭、銀線の現在の価値、価格は?
2020年5月15日
( 天正菱大判 造幣博物館蔵 )
現存する金貨の中で、世界最大の大きさを誇るのが豊臣秀吉が造らせた「天正大判」なんだよ。
世界一大きい金貨って、天正大判はどのくらいの大きさがあったんだろう?
大きいってことは相当な価値だったのかな?
ここでは天正大判の大きさや価値、天正大判がつくられた目的などを分かりやすくまとめていくね。
目次
【天正大判ってなに?】
天正大判(てんしょうおおばん)は豊臣秀吉によって造られた金貨で、家来への褒美や権威を象徴するために使われたとても高価な金貨だったんだよ。
主に安土桃山時代から江戸時代初期にかけて作られたんだ。
秀吉が金細工師の後藤四郎兵衛家に鋳造を命じたんだよ。
天正大判には
・天正菱大判 1588年(約40000枚)
・天正長大判 1595年(約55000枚)
・大仏大判 1608年(約40000枚)
の3種類があるよ。
数ある古銭の中でも4~5万枚の発行数は、決して多くはなく400年以上前の古い金貨なので相当な価値があります。
【天正大判の大きさはどれくらい?】
天正大判は世界で最も大きな金貨として知られているよ。
ではどのくらいの大きさがあったんだろう?
天正大判の中で最も大きい天正長大判は、縦約17㎝以上、横約10㎝、重さ165gもあったんだよ。
すごい大きさだよね。
【天正大判はどれくらいの価値があるの?】
天正大判は実用に適さない大きさで、重さは1枚165g、金の含有率は73.84%もあり、輝きも鮮やかなものだったんだ。
この天正大判、現在の相場でいうとどれくらいの価値があるんだろう?
通常の縦15.4㎝の天正大判が1500~2500万円、縦17㎝以上ある天正長大判は2500~5000万円、最も価値のある天正菱大判は7000万円~1億円以上の価値があると言われているんだよ。
1枚で1億円以上の価値がある金貨ってすごいよね!!
2015年にスイスで行われたオークションでは、天正菱大判1枚が1億2500万円で落札されているんだよ。
この金額は古銭としては最高額なんだ。
【なんでこんなに大きな金貨を作ったの?天正大判の目的はなに?】
秀吉は派手好みで、通常の大判では飽き足りず、実用に適していない貨幣として天正大判を造らせたんだ。
天下統一を実現させた秀吉は、各地の金山、銀山を直轄地として、算出された金銀をすべて大坂城へ集めさせたんだよ。
当時の日本は、世界最大級の金の産出国だったから、たくさんの金を集めることができたんだ。
その金を使って、秀吉は彫金家として有名であった後藤一家に金貨を造らせたよ。
この天正大判は、秀吉自らの勢力の誇示のために作られたと言われているんだ。
天正大判をばらまいた「太閤の金くばり」は有名だよ。
天正大判は一般通貨として流通されたのではなくて、恩賞や贈答品として使われていたんだ。
秀吉が死んだ後、豊臣家は大坂夏の陣で徳川家康によって滅ぼされてしまんだけど、この時には大坂城の焼け跡からは天正大判が2万4000枚も見つかったと言われているよ。
秀吉亡き後、莫大な金銀は新たに天下統一した徳川氏がすべて没収して、新たな金貨に作り直されたんだ。
【金が大好きだった秀吉】
秀吉は派手好きで、金が大好きだったことでも知られているよ。
秀吉は金で埋め尽くされた「黄金の茶室」も作らせているんだ。
この黄金の茶室は壁、天井、柱、障子だけではなく、畳表や障子紙にまで金を用いる徹底ぶりだったとか。
黄金の茶室は持ち運びに便利な組み立て式で1586年の正月には御所にも運ばれ天皇に披露されたんだ。
また、同年10月に催された北野の大茶会では広く一般にも公開されているんだよ。
この派手好きな秀吉だからこそ、世界一大きな金貨である天正大判を作ったんだね。