湯築城

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湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市にある城跡。

湯築城には堀や、土塁が現存しており、国の史跡にも指定されています。
湯築城は建武2年(1335年)前後に伊予国の守護であった河野通盛の代に築城されました。

その後、天文4年(1535年)には通直によって外堀が造られ、天正13年には四国征伐を目指す羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻。
金子城主の金子元宅を攻撃の末に滅ぼし、湯築城の河野氏も約1ヶ月の籠城後に降伏したといわれています。
城にとどまっていた通直は命は助かったものの、2年後に病死。城は小早川隆景に与えられたが、所領は筑前に移されました。

湯築城は天正15年に、福島正則が城主になるものの、国分山城に居城を移したことにより廃城。松山城の築城に際しては、湯築城の瓦などの建材が流用されたことが分かっています。

 

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