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楽市楽座は安土桃山時代に、織田信長などの各地の戦国大名によって支配地の市場で行われた経済政策のことだよ。
ここでは信長が行った楽市楽座について分かりやすくまとめていこう。
目次
【楽市楽座ってなに?】
楽市楽座は戦国時代に織田信長など各地の戦国大名が行った政策のこと。
座や市などの同業組合的な特権を認めず、座に属さない新規の商人にも自由に営業させたんだ。
日本で初めて行われた楽市楽座は1549年に近江の戦国大名である六角定頼が発令したものだったの。
観音寺城の城下町にある石寺に対して楽市令が出されたよ。
織田信長は美濃の加納に対して楽市楽座を発令。
その後、近江の安土や金森にも楽市楽座を発令し、支配している大名たちに各地で実行させたんだよ。
特に織田信長が1577年に行った安土城下に出した楽市楽座令が有名なの。
六角氏や今川氏は特定の市を対象に出した楽地楽座令だったんだけど、信長は範囲が広く、楽市楽座は信長の功績だと言われているんだ。
【楽市楽座の「市」と「座」の意味とは?】
楽市楽座の「市」とは定期的に人があつまり、商いを行う場所のことだよ。
「市」は7世紀頃からあったと言われており、貨幣経済が成立する以前から各地にあったんだって。
また「座」とは商工業者や芸能者によって結成させる同業者組合のことなんだ。
この「座」は平安時代に生まれ、貴族や寺社に金銭を払う代わりに、市や特定地域での営業権、販売権、仕入れ、運搬路などを独占していたの。
「座」に属さない新しい商人たちを排除して、経済的利権を保持していたんだ。
【楽市楽座の目的は?】
この楽市楽座の目的は「経済的な目的」と「政治的な目的」があったと言われているんだよ。
それぞれ簡単にまとめてみるね。
・経済的目的
楽市楽座は国内の商工業の発展や、城下町の繁栄を図るために行われたんだ。
城下町を活性化させることで、自分の治める領地は豊かにすることが目的だったんだよ。
市で誰でも自由に経済活動ができれば、他の町から移転してきた人でも商売を始めやすかったんだ。
町に商品が増えれば、彼らが取り扱う商品を作る農民、職人、漁師などの仕事も増えていき、物流関係者も増えていくよね。
楽市楽座をすることで領地全体が豊になって、徴収する税金も増え大名たちの懐も潤ったと言われているよ。
・政治的目的
政治的目的としては、領主権を確立するという目的があったんだよ。
中央の貴族や寺社と結びついて特権を得ている座という存在は、領地内における商工業を統制したい大名にとっては問題となる存在だったんだ。
そこで、楽市楽座の座を排除すれば、大名は領地内の経済を統制でき、領主権を確立できるようになることから楽市楽座を発令したと言われているよ。
【楽市楽座を行うことによってどうなった?メリット、デメリットは?】
では、実際に楽市楽座を発令して、世の中はどのように変化したんだろう。
楽市楽座を行ったメリット、デメリットをまとめてみよう。
・メリット
信長が行った楽市楽座は、城内の人々に自由な取引、商売をもたらすようになり、城下はにぎわい人々がたくさん集まるようになったよ。
そのため、物資が城下町に集まり運送業は活発化、さらに農村では生産量もアップし、領国内全体も活気づく結果となったんだよ。
さらに、税収もしっかりできたため、信長は高い税を獲得できたんだ。
また、物流が活性化したことで、道が整備されるようになり、軍の通行がより簡単&迅速にできるようになったとも言われているよ。
・デメリット
領主が城内の商人と関係を結んで、商人が領主の御用商人となり、市場の支配権を得たというデメリットもあったんだ。
楽市楽座では、独占販売権、非課税権、不入権などの特権を持つ同業者組合である「座」が排除されたものの、御用商人となった商人が「座」と同じ役割を果たすようになってしまったんだよ。
また、生産者から商品を取りまとめて商人たちに卸す問屋の発言力も増したんだ。
本来は卸すはずの商品を配送途中に抜き取り、闇市場で売り払う問屋もいたとか。
立場の弱い商人たちは、問屋から卸してもらえないと倒産してしまうから、泣き寝入りしていたんだよ。
【楽市楽座とともに行った信長のもう1つの経済政策「関所の廃止」】
実は、織田信長は楽市楽座の発令とともにもう1つの経済政策を行ったんだよ。
それが「関所の廃止」なの。
関所は古くから交通の要所に配置されていて、防衛拠点としてだけではなく、謀反人、犯罪者、逃亡した農民などを捕まえるなど様々な目的で用いられていたんだ。
京を中心とする畿内と東国の間につくられた「逢坂関」「不破関」「鈴鹿関」などは百人一首にも登場しているから聞いたことがある人も多いかも。
中世になると貴族、大名、寺社などが独自に関所を設けて、通行税を取り立てるようになるんだ。
この通行税は、盗賊や山賊から通行人を守るための費用、道路整備の費用などに充てるという建前だったんだけど、実際には関所の設置者の財源になっていたの。
街道を往来する商人にとって、関所を通るたびに通行料を支払うのは大きなコストになるよね。
物流コストは商品価格に反映するから、物価は高止まりして、経済が停滞してしまっていたんだ。
そこで信長は、1567年に自らの領内にあった関所を廃止したんだよ。
関所を廃止したことで、無駄なコストが省かれ、商品価格も下がり経済が活性化するようになったの。
関所の廃止が広がるにつれて、自由に通行できる範囲が拡大し、さらに楽市楽座令を出したことによって、経済はさらに活性化したんだよ。
ただ、関所の廃止はメリットだけではなかったんだ。
防衛面で脆弱になるというデメリットがあったよ。
本能寺の変が起こったときも、関所があれば明智光秀軍の接近を信長に知らせて逃亡する時間を稼げたのでは?とも言われているんだ。