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2024年5月12日新潟県胎内市にある「乙宝寺」には数々の伝説が残っていて広い境内にはたくさんの見どころスポットがあるの。
ここでは乙宝寺の魅力をまとめてみよう。
目次
【乙宝寺とは?】
新潟県胎内市にある乙宝寺は今から1300年前の天平期に開かれた真言宗の古刹だよ。
境内は往年の趣を残していて、田舎のお寺ならではの静寂さに包まれているの。
乙宝寺は聖武天皇の勅願によって、北陸地帯一体の安穏を願って建てられたお寺なんだ。
【乙宝寺が「行ってはいけないお寺」と言われる理由は2つの伝説が関係している?】
インターネットで乙宝寺について調べると「行ってはいけないお寺」とヒットするんだ。
その理由は、乙宝寺にまつわる2つの伝説が関係していると言われているよ。
乙宝寺に興味本位で参拝すると祟る、呪いを受けるなどと言われるようになったそう。
【乙宝寺に伝わる伝説1「猿供養」】
乙宝寺の「猿供養」の逸話は、「大日本国法華経験記」第126話を初出として「今昔物語集」「古今著聞集」「元亨釈書」にも記載されているんだ。
乙宝寺には法華経を専ら誦経する僧がいたそう。
ある時から2匹の猿が来て、木の上で1日中お経を聞くようになったんだ。
数ケ月たった頃、僧は不思議に思い猿に「誦経するか?」と尋ねると、その猿は首を横に振ったの。
さらに僧は猿に「写経するか?」と尋ねると、今度は笑みを浮かべて手を合わせたんだ。
それを見て僧は「写経をしてやろう」と言うと、猿は涙を流して、木を下りて行ったそう。
数日後たくさんの猿が木の皮を持ってきたので、僧はその木で紙をすいて写経をしてほしいんだな‥と悟り、紙をすいて写経を開始。
2匹の猿は、毎日欠かさず僧のところに現れ、山で採れる木の実などを置いて帰っていったそう。
ところが法華経第5巻まで写経した時に、猿はふっつりと来なくなってしまったんだ。
気になった僧は山へ行ってみると、猿は2匹とも死んでいるのを発見してしまうの。
その猿の遺骸を葬り、書きかけの法華経を仏像の前の柱の中に納めたそう。
それから40年の歳月が流れ、越後の国司となった紀躬高夫婦が、乙宝寺を訪れ「この寺にまだ書き終えていない法華経はないか」と尋ねてきたんだ。
猿に法華経を写経した僧はまだ生きており、そのことを告げると、国司夫婦は「私たちはその時の猿の生まれ変わりです。その法華経を最後まで写経してもらいたい、その願いを叶えるために生まれ変わり、この国の国司に任ぜられたのです。」と言うの。
それを聞いた僧は感激し、経を取り出し写経を完成させ、国司も法華経を写経して寺に納めたそう。
乙宝寺の境内には、この2匹の猿を供養した「猿塚」があるよ。
【乙宝寺に伝わる伝説2「血の池」】
乙宝寺に伝わる2つ目の伝説は「血の池」だよ。
血の池は、現在でも乙宝寺境内にある墓地の区画をさらに奥に入ったところにあるの。
昔は、死産が多く、赤ん坊が亡くなること多かったんだ。
そのため、乙宝寺では亡くなった赤ん坊など子供の遺体をこの「血の池」の真ん中まで舟を浮かべて葬ったとされているんだ。
子供の髪の毛を10本だけ切り取って墓に納めて供養すると、遺体を葬った翌日から3日間だけ池の水が赤く染まるという言い伝えがあるそう。
そのためこの池は「血の池」と呼ばれるようになったの。
正面にあるお地蔵様は、幼い子供たちの霊が極楽に行けるように建てられたものなんだ。
ちなみに現在「血の池」は水が枯れていることが多いの。
【乙宝寺の見どころ6選】
乙宝寺の見どころや特徴をまとめてみよう。
<見どころポイント1:乙宝寺は御祈祷の寺>
乙宝寺は天平8年(736年)に聖武天皇の勅願によって行基菩薩、婆羅門僧正の二人の高僧が開山。
七堂伽藍の中心、金堂には胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊がお祀りされているよ。
金堂は「大日堂」と呼ばれ、昔から請願成就を祈祷する道場だったの。
現在では
・毎日厄除け下院
・家内安全
・新車加持
・合格成就
・商売繁盛
・良縁成就
などあらゆる成就祈祷が随時行われているよ。
祈願のお寺なので、乙宝寺オリジナルの絵馬や御守りもたくさん置いてあるんだ。
おすすめの御守りをいくつか紹介するね。
●写経猿 土鈴
乙宝寺は猿の伝説のお寺として知られていて、境内には猿塚や木の皮に書かれた写経も残されているの。
別名「猿供養寺」と呼ばれることもあるそう。
この伝説から、噺家の三遊亭円窓師匠が仏笑落語「写経猿」を創作したんだ。
土鈴は古くから魔除けとして使われており、写経猿 土鈴も伝統的な工法によって粘土から作られ1000年以上は耐久性があると言われているの。
お部屋の清浄な場所に飾ることで、家族の無事を末永く見守り、見る人になごみをもたらしてくれるんだ。
●難去る厄去る御守り、福招く御守り
猿の寺と呼ばれる乙宝寺では、猿と深い縁があるため、猿にまつわる御守りが多いんだ。
「難去る厄去る御守」は仏の功徳力によって難を遠ざけて、困難を乗り越える力を授けるご利益があるの。
また福招く御守りでは、福を招く縁起のよい動物である猫をモチーフに福を招き寄せるあるいはその力を持つ人に授けるというものなんだ。
<見どころポイント2:お釈迦様の左眼が納められている宝物殿>
乙宝寺はお釈迦様の左の御眼が納められたお寺なの。
インド僧婆羅門僧正は乙宝寺にお釈迦様の左眼を納めて「乙寺」と名付けたと言われているよ。
ちなみに右眼は中国に納められて「甲寺」と呼ばれたんだ。
平安時代に後白河天皇が、左眼を納める金塔を寄進。
その時に乙寺から「乙宝寺」に神英されたと言われているよ。
また、杉謙信公は左眼の分粒を願って、乙宝寺に帰依して上杉家の擁護にしたと伝わっているんだ。
乙宝寺の宝物殿には猿の伝説の木の皮の写経や、お釈迦様の左眼などが納められているんだ。
ぜひ宝物殿は参拝ついでに拝観することをおすすめするよ(宝物拝観料300円別途必要)
<見どころポイント3:平成の夢殿「真言堂(方丈殿)」>
乙宝寺には平成の夢殿「真言堂(方丈殿)」があるよ。
この真言堂は、足掛け6年の歳月をかけて平成7年(1995年)の完成したお堂。
7人の侍大工が鎌倉時代と同じように造ったものなんだ。
真言堂は明治26年に焼失した方丈殿の復元したもので、御本尊は不動明王。
古式の広報によって中世の純和様式で建立されたよ。
乙宝寺の大日堂が祈願道場であるのに対して、方丈殿は滅罪や自分の心を見つめる真言密教専一の道場なんだ。
<見どころポイント4:松尾芭蕉が奥の細道で途中参拝>
乙宝寺は、元禄2年(1689年)の7月1日に、松尾芭蕉が奥の細道で参拝したんだ。
その当時より、桜の名所であった乙宝寺には「うらやまし浮世の北の山桜」という芭蕉の句碑が残されているよ。
乙宝寺の境内には随所に桜があって、本堂に向かう参道の両側には、毎年桜のシーンになるとぼんぼりがセットされて、夜桜を楽しむことができるの。
裏山には山桜があって、その山桜を見て松尾芭蕉は一句詠んだそう。
<見どころポイント5:国の重要文化財「三重塔」>
乙宝寺の境内は25,000坪もあり、広い境内にはたくさんの堂塔伽藍が残されているんだ。
その中でも三重塔は国の重要文化財に指定されており、慶長19年(1614年)起工、元和6年(1620年)に竣工した古式の塔。
村上城主周防守忠勝公の発願寄進で、落慶供養は村上城主堀丹後守源朝臣直奇によって行われたの。
三重塔は江戸時代初期の建築で、絵様彫刻のない純和様式で柿葺のバランスの取れた美しい塔。
この三重塔の建立にあたっては、その難しさから棟梁が一時は職場放棄したそう。
しかし夢の中で仏様が工事法を指導して、完成に至ったという伝説が残っているんだ。
塔の内部に安置されている仏様は普賢菩薩で、辰年と巳年生まれの守り本尊なの。
幸せを増やす増益のご利益があると言われているよ。
<見どころポイント6:どっこん水(独鈷水)>
乙宝寺の境内には弘法大師が独鈷(とっこ)で清水を出したという「どっこん水(独鈷水)」が湧き出ているよ。
飯豊山より流れでた胎内川の伏流水でとても美味しいんだよ。
【見どころはまだまだある!乙宝寺境内のご紹介】
見どころポイントを6選ご紹介したけれど、乙宝寺の境内にまだまだ見ておきたいスポットがあるんだ。
ここではその他の乙宝寺境内の紹介をしていくね。
<大日堂(金堂)>
大日堂(金堂)は乙宝寺の中心の御堂。
延亨二年(1745年)に再建された旧大日堂は昭和十二年に焼失したため、現在の御堂はその再建で昭和58年(1983年)竣工。
旧大日堂に倣い、十五間四面の大きさとなっているよ。
本尊に大日、弥陀、薬師の三尊を祀っていて、所願成就の御祈祷が行われているよ。
<仁王門>
仁王門は延亨二年(1745年)に改修されたもの。
奈良創建の金堂の古材が使用されているんだ。
また、仁王尊は行基菩薩作で山額「如意山」は洛東智積院第七世運敞によるものだよ。
<地蔵堂>
地蔵堂には本尊・地蔵菩薩がお祀りされているよ。
地蔵菩薩は「千体地蔵尊」とも呼ばれているんだ。
乙宝寺で供養した水子の塔婆が奉納されていて、老若男女を問わず供養の念をささげる熱心な信者が後を絶たないよ。
<観音堂>
観音堂には本尊・如意輪観世音菩薩をお祀りしているよ。
越後三十三観音霊場第二十六番札所にもなっているんだ。
<六角堂>
六角堂は延亨年間に再建されたお堂。
本尊は釈迦如来で、地下には当山に伝わる仏舎利を祀った五重塔の心礎が安置されているそう。
六角堂は「結びの堂」とも呼ばれていて、良縁成就のご利益にあやかれるよ。
【江戸時代から続く新潟一歴史のある老舗「乙まんじゅうや」】
乙宝寺を訪れたらぜひとも寄って帰りたいのが江戸時代から続く創業200年以上の老舗まんじゅう屋の「乙(きのと)まんじゅうや」だよ。
乙宝寺のすぐ側にあり、新潟県で最も歴史のある酒まんじゅうを販売しているお店なんだ。
この乙まんじゅうやは、乙宝寺の住職さんから乙まんじゅうの作り方を教わったそうで、乙宝寺のすぐ近くで商売を始めたと言われているの。
看板商品の「乙まんじゅう」は、全国でも希少な製法である糀のみを使用して炭火でゆっくりと発酵させる「酒まんじゅう」なんだ。
ふわふわの生地ともっちり食感が魅力で、添加物は一切なしで甘さも控えめだから何個でも食べられちゃうおいしさだよ。
【乙宝寺の住所とアクセス】
住所
新潟県胎内市乙1112
アクセス
車でお越しの場合
●高速道路「新潟中央JCT」より日本海沿岸東北自動車道(日沿道)で約40分
●高速道路「新潟中央JCT」より一般道(国道8号~7号~113号通行)で約55分
●山形県鶴岡より一般道(国道7号~日沿道~113号通行)で約1時間50分
●山形県南陽より一般道(国道113号通行)で約2時間
電車でお越しの場合
●新潟駅より「特急いなほ」で最寄停車駅「中条駅」まで約30分、駅よりタクシーで約20分
●新潟駅より「各駅停車村上行き」で最寄停車駅「平木田駅」まで約50分、駅よりタクシーで10分
公式サイトより引用