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藤沢市にある遊行寺は鎌倉四大寺の1つで、時宗の総本山だよ。
ここでは遊行寺の魅力に迫ってみよう。
目次
【遊行寺とは?】
神奈川県藤沢市にある遊行寺は、正式名を「藤澤山 無量光院 清浄光寺」と言うんだ。
栃木県足利市の御朱印が話題のお寺・萬福寺の総本山でもあるお寺なんだよ。
時宗開祖である一遍上人より数えて4代目の呑海上人が開山した時宗総本山だよ。
正中2年(1325年)、呑海上人の兄である俣野五郎景平の寄進によって呑海上人が廃寺を再建。
遊行引退後の住まいとしていたのが遊行寺の始まりとされているよ。
その後、歴代の上人も遊行引退後にこの寺に住むようになったことから、「遊行寺」と呼ばれるようになったそう。
創建以来、遊行寺は数度にわたる戦火、火災によって堂宇は焼失し、その都度復興を繰り返したんだ。
永正10年(1513年)兵火によって全山を失った遊行寺は、遊行21代・他阿知蓮上人が滞在されていた駿河長善寺に本尊を移動。
その後、慶長12年(1607年)に藤沢に再興されたよ。
寛永8年(1631年)には江戸幕府寺社奉公から諸宗本山へ出された命によって、幕府から時宗総本山として認められたんだ。
現在の建物の大部分は、関東大震災後に復興されたもの。
その中で唯一中雀門は、江戸時代からのものなんだ。
向唐門造りになっていて、菊の御門と三葉葵が刻まれているよ。
また、遊行寺の境内は広く、自然が豊か。
春は桜、5月は藤の花、梅雨はアジサイ、秋は銀杏の紅葉など、四季折々で美しい景色を堪能できるとあって参拝者も多いよ。
【遊行寺の御本尊】
時宗寺院の御本尊は一般的に阿弥陀如来像になるよ。
遊行寺の場合は、創建以来、たびたびの戦火、火災により堂宇を焼失。
創建当初の御本尊はないんだ。
現在、本堂に安置されている御本尊は阿弥陀如来坐像で、高さは184㎝。
この阿弥陀如来坐像は、浅草日輪寺塔頭の宝珠院が浅草寺からゆずり受けたものになるよ。
宝永5年(1708年)夏に、遊行四十八代・賦国上人が日輪寺に滞在した時に、この仏像をみて大仏であるから、本山の本堂に安置するのがふさわしいとおっしゃられたため、元文2年(1737年)10月に遊行寺に移されたんだ。
また、本堂の脇檀には、宗祖一遍上人・遊行二祖真教上人・遊行四十二代尊任上人の祖師像が安置されているよ。
【遊行寺と藤沢市の深い結びつき】
遊行寺の歴史=藤沢市の歴史と言っても過言ではないほど、遊行寺と藤沢市には深い結びつきがあるんだ。
特に、近世時代には門前が「藤沢宿」として発展していったのも、遊行寺があったからなの。
開山忌の行事期間中、境内には相撲や見世物小屋などの興業がおこなわれたんだ。
いろは坂には人が通行するのも困難なほどにぎわっていたそう。
この日のために老若男女が藤沢に集まるため、藤沢宿は宿泊客で大きな賑わいをみせたよ。
また参勤交代では、遊行寺は大名の宿泊所として利用されたの。
明治時代には、天皇のお宿所にもなっているんだよ。
【樹齢700年の大イチョウが有名】
遊行寺と言えば境内中央にある樹齢700年を迎える大イチョウがとっても有名なんだ。
昭和26年(1951年)に日本観光地百選にも選ばれているの。
この大イチョウは、藤沢市指定重要文化財(天然記念物)で、かつては樹高約31mにも及ぶ雄大な姿を誇っていたそう。
昭和57年8月の台風によって上部が折損してしまったけれど、現在でも藤沢市随一の巨木として知られているの。
現在の樹高は約16mで、幹回りは6.83m。
秋の紅葉シーズンには、美しい大イチョウの紅葉を楽しむことができるよ。
【遊行寺のおすすめスポットを解説♪】
遊行寺の境内にはたくさんの見どころがあるよ。
今回は参拝したら訪れておきたいスポットを解説していくね。
<惣門(登録有形文化財)>
大きな黒の冠木門で「黒門」とも呼ばれているの。
明治の大火で焼失する前は、四脚門だったそう。
<いろは坂>
「四十八段」とも呼ばれるいろは坂は、桜舞う四十八の大石段だよ。
四十八は、阿弥陀如来の本願の数であり、坂を上る人々が本願を念じて、参拝するように考慮されているんだ。
春には両脇の桜で花のトンネルになるから、多くの花見客でにぎわうよ。
<中雀門(重要文化財)>
重要文化財にも指定されている中雀門は、境内最高の木造建造物。
四脚門で高さ約6m、幅約2.7m。
安政6年(1859年)に建立されたもので、大棟には皇室とのつながりを示す菊の御紋、屋根の下には徳川家の家紋である三葉葵が刻まれているよ。
この中雀門は現在も正門として使用されているんだ。
1880年の藤沢宿大火の被害は免れたものの、1923年の関東大震災で倒壊。
その後、そのままの形で再建されたんだよ。
<鐘楼(登録有形文化財)>
延文元年(1356年)の銘を持つ梵鐘は県指定重要文化財。
この梵鐘は、総高168㎝、口径92㎝。
平和を願って造られた鐘なんだ。
「延文の鐘」と呼ばれていて、現在も朝夕に寺報としてならしているそう。
戦国時代には小田原城へ持ち去られるものの、1626年中里理安の働きによって遊行寺へ戻ってきたよ。
<本堂(登録有形文化財)>
遊行寺の本堂は、東海道最大級の木造本堂になるよ。
木造銅板葺で、関東大震災で倒壊した後、昭和12年(1937年)に再建されたもの。
外陣長押に後光厳天皇の勅額「清浄光寺」を掲げていて、本尊に阿弥陀如来坐像を安置しているよ
堂内は外陣と内陣に分かれていて内陣は僧座・尼座・鏡縁に分かれる時宗独特の様式となっているの。
また欄間の彫刻類がとっても美しいよ。
<敵味方供養塔(重要史跡)>
博愛思想を表す日本最古の碑である敵味方供養塔は、上杉禅秀の乱で犠牲になった人々や動物を供養した塔なんだ。
石碑建立の施主は、足利持氏、名号は14代太空上人によるよ。
<遊行寺宝物館>
宝物館には、絵画・経典・古文書などを収蔵。
平成27年(2015年)に、二祖上人七百年御遠忌記念事業の一環として新装されたんだ。
<地蔵堂>
関東大震災で倒壊後、平成26年(2014年)に再建されたもの。
日限地蔵菩薩を安置しているよ。
<放生池>
元禄7年(1694年)に徳川5代将軍である徳川綱吉の時代に、「生類憐みの令」が発布されたよね。
それに際して、「江戸市中の金魚(赤色)銀魚(白色)を所持する者は、その数を正直に報告し差し出すべし」とおふれが出たんだ。
このおふれによって、江戸市中の金魚・銀魚が集められ、この遊行寺の池に放生されたの。
現在でも、毎年春季開山忌に行われる放生会は、この放生池で行われるよ。
<御番方(登録有形文化財)>
関東大震災で倒壊したものの、すぐに倒壊当時の古材で再建。
行事などの正式な玄関として使用されているよ。
遊行寺の受付は、近侍司寮と呼び、信徒・団参の方々はこの御番方と呼ばれる入口から入るの。
神棚には、天照皇大神、熊野証誠殿大権現、大隈正八幡大菩薩を祀っているんだ。
<宇賀神社(登録有形文化財)>
遊行寺境内にある宇賀神社は、徳川家とのつながりを残す神社。
小ぶりでありながら優美な建築様式を見ることができるんだ。
「宇賀神さん」の愛称で親しまれており、明治13年の類焼後に再建されたものなんだ。
宇賀弁財天像は室町時代後期の作であり、徳川家の祖とされる有親の守り本尊と言われているんだ。
宇賀弁財天は「開運弁財天」とも言われていて、銭洗弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に広く信仰されていたの。
現在も銭を洗うことで、開運、金運上昇などのご利益があると信仰されているよ。
【住所とアクセス】
住所
神奈川県藤沢市西富1-8-1
アクセス
JR藤沢駅からバスで4分