太子御建立七ヵ寺の1つ!聖徳太子が誕生した地に建てられた「橘寺」の見どころスポットを解説♪
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2021年10月18日
聖徳太子ゆかりのお寺はたくさんあるんだけど、京都にある広隆寺もその1つ。
太子御建立七カ寺の1つでもある広隆寺は、社会の教科書にも載っている「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」があることでも知られているよ。
今回は、京都・太秦にある広隆寺についてまとめてみよう。
目次
【京都・太秦にある広隆寺は、山城最古の寺院】
広隆寺は聖徳太子信仰のお寺で、京都市右京区太秦にあり、京都駅の北西にあるよ。
近くには、東映太秦映画村や京都外国語大学などがあるんだ。
この広隆寺は、平安文化の発祥の地なの。
日本書紀によると、推古天皇11年(603年)に秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立したのが始まりと言われているよ。
その本尊こそが、国宝指定第一号となった「弥勒菩薩半跏思惟像」(みろくぼさつはんかしゆいぞう、みろくぼさつはんかしいぞう)なんだ。
山城最古の寺院である広隆寺は、聖徳太子建立の太子御建立七カ寺の1つでもある由緒あるお寺だよ。
ちなみに、聖徳太子が生きた飛鳥時代の日本の中心は奈良であったため、太子御建立七カ寺は、広隆寺以外はすべて奈良県にあるの。
広隆寺を建てた秦河勝(はたのかわかつ)は、聖徳太子の一番近い家臣であったとされているんだ。
秦河勝は、元々の生まれは漢民族の人間で、農業・養蚕・土木など様々な技術や知恵を日本の人々に伝えたと言われているよ。
そんな秦河勝が建てたとされる広隆寺は、中国から日本に仏教が伝わり、一番初めに建てられたお寺なんだ。
平安京が遷都する前であったそう。
創建当初は今の場所よりも北東、現在の北野天満宮がある場所に建てられていたの。
その後、平安京に都が遷都されたタイミングで、太秦の地に移転したんだ。
建立された当時は、「広隆寺」という名前ではなく、蜂岡寺や秦公寺、太秦寺など名前が変わりながら、現在の広隆寺という名前になったよ。
広隆寺は818年と1150年の2度にわたって大火に見舞われたため、創建当初の建物は残っていないの。
しかし、現存する講堂は大火後の1165年に再建された当時の遺構を残していて、それは現存する京都最古の建物でもあるんだよ。
【国宝第一号・弥勒菩薩半跏思惟像とは?】
広隆寺に参拝したら、絶対に見ておきたいのが国宝・弥勒菩薩半跏思惟像だよ。
広隆寺にある弥勒菩薩半跏思惟像は、右手を頬にあてて微笑する姿が非常に美しい仏像なの。
日本の国宝第一号で、社会の教科書にも必ず載っているから、一度は見たことがあるという人も多いはず。
右足を左膝に乗せていて、右手を優しく頬にあてて何かを考えているようなお姿なんだ。
でも表情はかすかに微笑んでいて、なんとも美しい姿が、見る人の心を奪うよ。
弥勒菩薩半跏思惟像は、国宝の木造彫刻であり、広隆寺創建当時の本尊と伝えられているの。
弥勒菩薩半跏思惟像は、アカマツという木で作られていて、赤身を帯びた色合いをしているのが特徴だよ。
この弥勒菩薩半跏思惟像は、通常展示してあるのでいつ参拝しても見ることができるよ。
教科書に載るような有名な像は、秘宝で年に何度しか見ることができない場合も多いから、いつでも見ることができるのは嬉しいよね。
像高は123.3cmで、座高は84.2㎝。
像表面は、現状ではほとんど素地ではあるものの、元々は金箔で覆われていたことが、下腹部にわずかに残る痕跡から分かっているよ。
右手の人差し指と小指、両足先などは後補したもので、面部にも補修の手が加えられているの。
制作時は7世紀頃で、制作地については朝鮮半島からの渡来像であるという説や、日本で制作されたという説、朝鮮半島から渡来した霊木を日本で彫刻したとされる説など諸説あるの。
【聖徳太子ゆかりの広隆寺で行われる聖徳太子御火焚祭とは?】
広隆寺では毎年11月、聖徳太子の月命日にあたる22日に「聖徳太子御火焚祭」が行われるよ。
聖徳太子御火焚祭はこの日限りの行事であり、天皇ゆかりの御束帯・黄櫨染御袍を身につけた本堂にある本尊の秘仏・聖徳太子像と、霊宝殿に安置されている秘仏・薬師如来像が開扉されるんだ。
午後1時から本堂で法要があり、その後、護摩供養が行われ、境内に組み立てられた斎竹に、数万本の護摩木が焚き上げられるよ。
【京の三大奇祭「太秦の牛祭」とは?】
広隆寺で毎年行われる太秦の牛祭は、京の三大奇祭の1つに挙げられているよ。
この牛祭は、明治以前は旧暦の9月12日の夜半、広隆寺の境内社であった大酒神社の祭りとして執り行われていたそう。
明治時代に入ってからはしばらく中断していたものの、広隆寺のお祭りとして復興してからは、毎年新暦の10月12日に行われるようになったよ。
寺院に祭があるのは珍しいケースと言われているんだ。
牛祭では、仮面や飾りつけをしたまだら神が牛にまたがり、仮面をつけた四天王が松明を持って従い、境内と周辺を一巡するよ。
薬師堂前で祭文を読み、これが終わると同時に堂内に飛び込み、五穀豊穣・悪魔退散を祈願する祭なんだ。
【広隆寺を訪れたら見ておきたいおすすめスポットとは?】
広隆寺を訪れたらぜひとも見ておきたいおすすめスポットをいくつかまとめてみるね。
<楼門>
広隆寺境内の入口に鎮座している大きな楼門は1702年に建立されたもの。
楼門には、阿吽の仁王像が配置されているよ。
<上宮王院太子殿>
上宮王院太子殿は、広隆寺の本堂に相当するよ。
1730年(享保15年)に再建された建物で、入母屋造りで檜皮葺きの宮殿風で重厚な建物になっているんだ。
堂内奥の厨子内には御本尊として、聖徳太子立像が祀られているよ。
この木造聖徳太子立像は、像高148㎝で、像内には元永3年(1120年)仏師頼範作の造立銘があるよ。
聖徳太子が秦河勝に仏像を賜った時の年齢である33歳時の像であり、下着姿の像の上に、実物の着物を着せて安置されているの。
その着衣は、天皇が即位などの重要な儀式で着用する黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)であり、上皇明仁も天皇時代に袍を下賜されていて、この像に着せられているんだ。
ちなみに木造聖徳太子立像は秘仏であり、11月22日のみ開扉されているよ。
<桂宮院本堂(国宝)>
国宝に指定されている桂宮院本堂は、境内の西側に塀で囲まれた一画にあるよ。
聖徳太子を祀るお堂である桂宮院本堂は、法隆寺夢殿と同じ八角円堂をしているんだけど、建築様式的には純和様で檜皮葺きのお堂なんだ。
正確な建造年については分かっていないものの、建長3年(1251年)に、中観上人澄禅による建立のための勧進帳があることから、その頃に建立されたと推定されているよ。
堂内の八角堂の厨子も、堂と同時代のものであり、国宝の附として指定されているんだ。
建物は原則として非公開となっているよ。
また、本尊の聖徳太子半跏像に関しては、霊宝殿に移されているの。
<講堂(重要文化財)>
重要文化財にも指定されている講堂は1165年(永万元年)に再建されたもの。
正面5間、側面4間、寄棟造、本瓦葺きで、平安時代の遺構を残す、京都最古の建造物として知られているよ。
創建当時の講堂は、朱に塗られていたため「赤堂」とも呼ばれていたんだ。
京都市内に残す数少ない平安建築の1つである講堂は、永禄年間(1558~1570年)に改造され、近世にも修理を受けているの。
そのため、建物の外観や軒周りには古い部分はほとんど残っていないんだ。
堂内には平安時代の様式が見られ、梁行方向に虹梁を2段に掛けていて、板蟇股を置いた二重虹梁蟇股とし、天井板を張らない化粧屋根裏とする点が特徴だよ。
この講堂には、中央に国宝で本尊の阿弥陀如来坐像、向かって右側に重要文化財の地蔵菩薩坐像、左側に重要文化財・虚空蔵菩薩坐像が祀られているの。
ただ一般拝観者は内部に入ることはできないため、堂外からの拝観となるよ。
<新霊宝殿>
新霊宝殿は境内の北方にあるよ。
広隆寺が誇る数多くの国宝・重要文化財が納められている場所なんだ。
特に、仏像を中心とした文化財を収蔵展示しているの。
建物内部はもちろん、建物の正面からの撮影も禁止となっているよ。
この新霊宝殿には、国宝第一号に指定された「弥勒菩薩半跏思惟像」や十二神将像など、数多くの貴重な仏像を間近で見ることができるの。
しかも、展示物はガラスなどで仕切られておらず、そのまま拝むことができるからより間近で貴重な仏像を堪能できるよ。
また新霊宝殿の前庭には苔が敷き詰められているので、ぜひ行った時にはチェックしてみよう。
梅雨や初夏の時期は、苔がとっても綺麗なんだよ。
<旧霊宝殿>
新霊宝殿は1982年(昭和57年)に創建されたんだ。
それ以前は、旧霊宝殿に広隆寺の寺宝が納められていたの。
この旧霊宝殿は、1922年(大正11年)に聖徳太子1,300年忌を期に建設されたものなんだ。
現在、旧霊宝殿の内部に入ることはできないよ。
<薬師堂>
薬師堂は広隆寺境内の左手にあるよ。
ここには、重要文化財の薬師如来立像が祀られているんだ。
この薬師如来は、吉祥天の面影を持つ「吉祥薬師」という珍しい位置づけの像になるよ。
<能楽堂>
薬師堂の隣にあるのが、能楽堂だよ。
能楽堂は、四方に板張りがされており、昔はこの場で能楽が奉納されていたそう。
<地蔵堂>
能楽堂の隣にあるのが、地蔵堂だよ。
地蔵堂には、弘法大師・空海が作ったとされている腹帯地蔵尊が祀られているんだ。
この腹帯地蔵とは身代わり地蔵の一尊で、現世の数々の危機を救ってくれると言われているの。
<太秦殿>
本堂にあたる上宮王院太子殿の右脇に佇む建物が太秦殿(うずまさでん)だよ。
この太秦殿には、広隆寺を創建したとされる秦河勝が祀られているの。
<書院>
境内西側には書院があるよ。
書院内部には持仏堂、書院奥には聖徳太子を祀る八角円堂の形をした桂宮院本堂があるの。
ただ、現在は原則非公開となっているよ。
<弁天社>
この地にはかつて弁天池と呼ばれる大きな池があったそう。
現在もその名残が残る小さな池があって、そこには弁天様を祀っている弁天社があるよ。
<大酒神社>
広隆寺境内の東側から、歩いて3分ほどの場所にあるのが大酒神社だよ。
元々この大酒神社は、広隆寺を守護する護伽藍神として境内にあったんだけど、明治維新後の神仏分離によって切り離されたんだ。
神社の境内には、秦氏の始祖とされている秦の始皇帝が祀られているよ。
住所
京都市右京区太秦蜂岡町32
アクセス
JR「太秦」駅下車、徒歩約13分
市バス「太秦広隆寺前」下車、徒歩約1分
京都バス「太秦広隆寺前」下車、徒歩約1分