日吉・日枝・山王神社の総本宮・日吉大社のおすすめスポットをエリア別に徹底解説♪
2021年9月23日太子御建立七カ寺・広隆寺には教科書にも掲載されている国宝第一号がある!
2021年10月12日
聖徳太子が建立されたとされる太子建立七ヵ寺の1つである「橘寺」は、聖徳太子の生誕の地として有名なんだ。
ここでは、聖徳太子誕生の地と言われる橘寺についてまとめてみよう。
目次
【橘寺とは?】
橘寺は聖徳太子建立七ヵ寺の1つとされていて、聖徳太子が祖父・欽明天皇の別宮・橘の宮を寺に改めたのが始まりと言われているよ。
奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院で山号は仏頭山。
橘寺という名前は、垂仁天皇の命によって不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰ってきた「橘の実」を植えたことに由来するの。
最盛期であった8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院だったようで、当初の建物は東を正面として、中門、塔、金堂、講堂が東西に一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置をとっていたよ。
皇族や貴族の庇護を受けて栄えたものの、平安時代後期には五重塔が雷で焼失してしまうの。
その後も、橘寺の建物は何度も焼失していて室町時代にはほぼ焼失。
現在の伽藍は江戸時代以降に建てられたもので、本堂(太子堂)と観音堂は元治元年(1864年)に再建されたものになるの。
聖徳太子はこのあたりで誕生し、幼少期を過ごしたと言われているの。
【橘寺の歴史】
創建年代は不明なんだけど、文献に初めて登場するのは天武9年(680年)のこと。
「日本書紀」に天武天応9年(680年)4月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼いた)とあるんだ。
考古学的にみると、出土した古瓦のうち、創建瓦と見られる複弁蓮華文軒丸瓦は7世紀第I四半期に位置付けられていて、橘寺の創建はその頃とされているの。
ただ、この時期の瓦の出土は少ないため、本格的に造営されたのは、7世紀半ば以降とみられているよ。
また、橘寺の北側にある官寺・川原寺の創建瓦と、橘寺から出土した瓦が同笵品であることや、川原寺の伽藍中軸線が橘寺・北門の中軸線と一致することから、僧寺(男僧の寺)であった川原寺に対して、橘寺は尼寺として建立されたとする説もあるそう。
【謎の石造物「二面石」とは?】
橘寺・境内の太子殿の左横に佇むのは、善悪2つの顔が刻まれた「二面石」と呼ばれる石造物。
この二面石は高さ1m、長さ85㎝、幅52㎝の飛鳥時代の石造物で、花崗岩の表裏に、善悪2つの顔の彫刻がされているよ。
左右に善相と悪相が彫られていて、人の心の二面性を表現していると言われているの。
この二面石は飛鳥ミステリーンストーンの1つであり、人気の高い謎の石造物として知られているんだ。
【橘寺にある木造聖徳太子35才坐像とは?】
橘寺の本堂(太子殿)にある木造聖徳太子35才坐像は重要文化財に指定されており、御本尊として祀られているんだ。
この坐像は、推古天皇14年(606年)に推古天皇の命を受けて、勝鬘経(しょうまんぎょう、仏教経典の1つ)の講義をされた際のお姿であると言われているの。
伝説によると、推古天皇14年(606年)の天皇の仰せによって、聖徳太子が勝鬘経(しょうまんぎょう)の講義を3日間行うと、その講義のすばらしさに天から美しい花びらが舞い降り庭に蓮の花びらが1mも降り積もったそう。
その花びらを埋めたのが現在も橘寺の境内にある蓮華塚と言われているの。
さらに、南の山に千の仏頭が現れ、聖徳太子の冠が日・月・星の三つの光を放って輝いたと伝わっているよ。
この伝説を具現化した石を「三光石」と呼び、現在でも橘寺の境内にあるんだ。
【橘寺・観音堂にある如意輪観音菩薩坐像とは?】
橘寺の観音堂に安置されている如意輪観音菩薩坐像は重要文化財に指定されていて、平安時代後期の繊細で優美な定朝様式を体現しているよ。
6本の手は、六道(地獄界から天界まで6つの世界)に対応していると言われているの。
【橘寺の五重塔跡は面白い形の心礎を持つ】
橘寺・境内には五重塔の跡が残っているよ。
3つの副柱の穴を持つ塔心礎が残っていて、当時を思い起こさせてくれるんだ。
橘寺の五重塔は約38mもあったそう。
【圧巻の美しさ!橘寺・往生院の天井画】
飛鳥時代からの長い歴史を持つ橘寺だけど、建物は江戸時代以降に再建されているから比較的綺麗なんだ。
境内の中でも、東門を入って左手にある往生院の天井画は、圧巻の美しさだよ。
格子天井の1つ1つが現代画家たちから奉納された美しい花の絵で埋め尽くされているの。
寝転んで天井を見上げれば、司会一面が花で埋め尽くされるよ。
橘寺に行ったら、ぜひ往生院の天井画はチェックしてみよう。
【彼岸花の名所として知られる橘寺】
橘寺近辺では、秋になると数多くの彼岸花で埋め尽くされるよ。
明日香村の彼岸花の中には、赤だけではなく珍しい白い彼岸花も見られるんだ。
橘寺周辺、国営飛鳥歴史公園の高松塚周辺地区は、関西屈指の彼岸花名所として知られているので、秋に訪れたいスポットだよ。
秋の実りの稲穂と彼岸花とのコラボは、とっても美しく、村中が彼岸花で真っ赤に彩られるんだ。
【橘寺と合わせて訪れておきたいスポット!石舞台古墳とは?】
橘寺から約870m(徒歩11分)の距離にある石舞台古墳はぜひとも訪れておきたいスポット。
石舞台古墳は、国営飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置する、わが国最大級の方墳だよ。
墳丘の盛土が全く残っていなくて、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているのが特徴なんだ。
天井石の上面が平らで、舞台のように見えることから「石舞台古墳」と呼ばれるようになったとか。
墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠(ほり)が巡っているよ。
石室は30数個の岩でできており、総重量は約2300トン、天井石は約77トンもあるそう。
誰が眠っている墓なのかについては定かではないものの、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父・蘇我馬子の墓なのでは?と言われているんだ。
盛土がなくなり石室が露呈しているのは、蘇我馬子の横暴な態度に反発した構成の人たちが、盛土を取り除いたためとも言われているの。
石舞台古墳の周囲は芝生広場になっていて、春には桃や桜、秋には彼岸花など季節の花を楽しむことができるよ。
蘇我馬子のお墓と言われる石舞台古墳は、橘寺と合わせてぜひ訪れておきたいスポットだね。