聖徳太子が建てた世界最高の木造建築物・法隆寺にある五重塔は奈良のシンボル的存在!
2021年8月26日斑鳩三塔の1つ「法起寺」は法隆寺と共に世界遺産に認定されているの?
2021年9月7日聖徳太子が建立した法隆寺は、世界最古の木造建造物であり、たくさんの国宝・重要文化財が残っているよ。
広大な境内にはたくさんの見どころスポットがあるんだ。
今回は、法隆寺に行ったらぜひとも見ておきたいおすすめの場所をまとめてみよう。
【ここは見ておきたい!法隆寺のおすすめスポットとは?】
1993年にユネスコの世界文化遺産にも登録されている法隆寺には、たくさんの見どころがあるんだ。
今回は、法隆寺に行ったら絶対に見ておきたいスポットを詳しく紹介していこう!
法隆寺は大きく分けて、西院伽藍と東院があるんだけど、それぞれまとめていくね。
<金堂>
金堂は西院伽藍の中で最古の建築物で、飛鳥時代に建立されたとされているよ。
西院の本堂にあたる金堂には、法隆寺の本尊である釈迦三尊、薬師如来、阿弥陀如来が安置されていて、上を見上げると天人と鳳凰の美しい天蓋が吊るされているんだ。
その他にも、国宝・吉祥天や日本最古の四天王像などが釈迦像の周りに安置されているの。
金堂に足を踏み入れると、別世界のような空間に圧倒されるはず。
金堂にある仏像の中でも特に注目したいのが「釈迦三尊像」だよ。
この釈迦三尊像は、聖徳太子のために造られた緑がかった金銅製の像なの。
推古30年(622年)に聖徳太子が病気になり、病気平癒と成道を願って造られた太子等身の像で、聖徳太子がなくなった翌年に完成したことが刻まれているんだ。
この像は、釈迦の像でありながら、聖徳太子の像でもあるから、法隆寺が聖徳太子菩提の寺であることを物語っているの。
<五重塔>
日本最古の塔である五重塔は、法隆寺のシンボル的存在として広く知られているよね。
五重塔の真ん中にある心柱の下には、心礎と言われる場所があって、そこには仏舎利(釈迦の骨)が納められているんだ。
高さは約31.5mで、初層から上にいくにしたがって、柱間を狭くしていき、屋根もそれに応じてほどよく小さくなっているの。
全体が調和のとれたバランスの良さが魅力の1つだよ。
<中門>
法隆寺の正門である南大門をくぐった先にあるのが中門なんだ。
西院伽藍の本来の入口であるのがこの中門なの。
軒が翼を広げたように深く覆いかぶさっていて、正面が四間二戸と入口が2つある形が特徴だよ。
柱の中央がふくらんでいて、これはギリシャのパルテノン神殿などに見られる「エンタシス」と呼ばれる技法なんだ。
中門は、飛鳥建築の粋を集めた重厚の門で、左右には巨大な金剛力士像が立っているよ。
この金剛力士像は奈良時代に造られたもので、日本最古の仁王像と言われているんだ。
<回廊>
回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながっていて、並立する五重塔と金堂を囲んでいるよ。
平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていたんだ。
また、西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられているよ。
<経蔵>
国宝にも指定されている経蔵は、経典を納める施設として奈良時代に建立されたもの。
現在は、天文や地理学を日本に伝えたとされる百済の学僧・観勒僧正像を安置しているよ。
道内には三伏蔵の1つがあって、法隆寺を再興できるほどの宝物が収めらえていると伝えられているんだ。
<鐘楼>
鐘楼は延長3年(925年)に大講堂と共に落雷により焼失。
現在の鐘楼は、経蔵の様式にならって再建されたものなんだ。
この鐘楼の中に吊るされている梵鐘は奈良時代前期の銅鐘だよ。
<大講堂>
金堂と五重塔の北側に立つ大講堂は、元々は北側の回廊の外に独立して建っていたんだ。
それが、延長3年(925年)に消失し、正歴元年(900年)にほぼ元の規模と同じ大きさで再建されたの。
堂内に安置されている薬師三尊像は、再建時に造像されたものなんだ。
大講堂は、大きく広がる空間と雄大なたたずまいをしていて、その堂々たる存在感は金堂や五重塔を上回るほどと言われているよ。
<大宝蔵院>
百済観音堂を中心に東西の宝蔵からなる大宝蔵院には、日本を代表する宝物類が安置してあるよ。
法隆寺に伝わる仏像や小壁画などを実際に見学できるんだ。
その中でも特に注目しておきたいのが「百済観音像」だよ。
百済観音像(像高209.4㎝)は八頭身の美しい姿をしていて、日本屈指の仏教美術と称されているの。
また、飛鳥時代の建築様式を伝える宮殿形の玉虫厨子は周囲の金具の下に玉虫の翅があるのでこの名前が付いたんだ。
その他にも阿弥陀三尊像をお祀りした厨子や、夢違観音像など見どころいっぱいだよ。
<聖霊院>
聖徳太子信仰の高揚に伴って、聖徳太子の尊像を安置するために改造したのが「聖霊院」だよ。
毎年3月22日のお会式の時扉が開かれるの。
<東室>
西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があるの。
東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物なんだ。
<三経院・西室>
三経院は聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈された「三経義疏」にちなんで付けられた名称で、西室の南端部を改造して建てられたよ。
<上御堂>
上御堂は、奈良時代に天武天皇の皇子・舎人親王の発願によって建立されたもの。
永祚元年(989年)に倒壊し、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものだよ。
<西円堂>
法隆寺南大門から西側に位置する西円堂は、小高い場所にある八角円堂で、国宝の薬師如来坐像が安置されているよ。
西円堂の創建については、養老2年(718年)に光明皇后の母・橘夫人の発願によって、行基菩薩が建立したという伝承があるの。
現在の建物は建長2年(1250年)に再建されたんだけど、凝灰岩の礎石や二重の須弥壇には、天平期の名残がみられるよ。
西円堂にある薬師如来坐像は、西円堂の創建当初から存在していると言われていて、「峰の薬師」と呼ばれ古くより、多くの人々から崇敬を集めていたそう。
脱活乾漆造りと言われる技法で造られた像の中では、現存している日本最古のものなんだ。
堂内中央の薬師如来坐像を取り囲むように、十二神将像があり、東面には千手観音像、北面には不動明王像が安置されているよ。
また、堂内に薬師如来の霊験を物語る、刀剣や弓、甲冑、鏡などが奉納されていて、1万点以上が宝物庫に収蔵されているんだ。
<夢殿>
夢殿は東院伽藍の本堂にあたり、東院伽藍の中で一番の見どころスポットと言えるよ。
ここは、聖徳太子の住居であった斑鳩の宮の跡であり、聖徳太子を供養するために建てられたお堂なんだ。
東院伽藍は最初に造営されたのは739年のこと。
西院伽藍よりも新しく、斑鳩宮跡の荒廃に心を痛めた高僧・行信が聖徳太子の供養のために造営を発願したの。
東院伽藍の中心となった夢殿は、屋根に宝珠をいただいた美しい八角形のお堂で、鎌倉時代に大きく改造されたため、その頃の建築様式を色濃く残していると言われているよ。
回廊で囲まれた中央に立つ夢堂の中には、聖徳太子の等身像とされる「救世観音像」をはじめ数々の仏像が安置されていて、太子信仰の聖地となっているんだ。
次に聖徳太子の等身像とされる「救世観音像」についてまとめてみよう。
・救世観音像
聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像は、行信が夢殿建立の際に、本尊として迎えた霊像なんだ。
楠の一木造りで漆箔が施され、長く秘仏として厳重に安置されてきたの。
そのため、金銅仏と見間違うような輝きを見せているんだ。
秘仏とされている救世観音像は、春と秋の年2回、御本尊特別開帳も行われているよ。
<絵殿・舎利殿>
この建物の東和側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2歳の春に東に向かって合掌され、その掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物なの。
西側には、聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が収められた絵殿があるよ。
<伝法堂>
伝法堂は聖武天皇の夫人であった橘古那可智の住宅を仏堂に改造したもの。
当時のお堂としてはめずらしく、床が板張りとなっているよ。
堂内には三組の乾漆阿弥陀三尊像をはじめ、多数の仏像が安置されているんだ。
<東院鐘楼>
東院にある鐘楼は、「袴腰」と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物なの。
内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされているよ。
<南大門>
法隆寺の玄関にあたる総門が「南大門」だよ。
三間一戸の八脚門で、法隆寺建立時には中門前の石段上に立っていたものの、寺域の拡大により現在の場所に移されたんだ。
創建時のものは、永享7年(1435年)に焼失し、永享10年(1438年)に現在の門が再建されたよ。
<食堂>
もともと政所として法隆寺の寺務所であったものが、平安時代に入り僧が食事をする食堂として使われるようになった建物なんだ。
この建物は、「双堂」とよばれる奈良時代の建築様式だよ。
<網封蔵>
寺宝を保管するための蔵。
この蔵は「双蔵」と呼ばれる様式の建物なんだ。
<東大門>
東大門は「中ノ門」とも呼ばれていて、西院と東院の間に建っているんだ。
かつては、鏡池の東側に南向きに建っていたものが、平安時代頃に現在の場所に移ったとされているよ。
この東大門は、三棟造りという珍しい様式をしていて、奈良時代を代表する建物なんだ。
<築地塀>
築地塀は粘土を棒で一層ずつ何層にも突き固める「版築」と呼ばれる工法で作られているの。
法隆寺では、南大門の左右に伸びる「大垣」と呼ばれる築地塀や、各塔頭を囲む築地塀などがあるよ。
この築地兵によって、各々の神聖な区域をそれぞれ分けているんだ。
築地兵に突き固められた各層は少しずつ風雨に侵され、縞模様となって、歴史的景観の一部を作っているの。