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2021年8月20日国宝だらけの世界遺産・法隆寺の見どころスポットを徹底解説♪
2021年8月27日
奈良県生駒郡斑鳩町には「斑鳩三塔」と呼ばれる仏塔があるんだ。
斑鳩三塔に選ばれたのは法隆寺(五重塔)、法起寺(三重塔)、法輪寺(三重塔)の3つだよ。
ここでは、斑鳩三塔の1つで「五重塔」が有名な法隆寺についてまとめてみよう。
目次
【斑鳩三塔って何?】
斑鳩三塔とは、飛鳥時代から奈良時代以前に建立された斑鳩町にある聖徳太子とその一族ゆかりの仏像のことなんだ。
法隆寺の五重塔、法起寺と法輪寺の三重塔のことを言うよ。
斑鳩にある矢田丘陵を背に立つこの3つの美しい塔は、いつからか親しみを込めて「斑鳩三塔」と呼ばれるようになったんだ。
【現存する世界最古の木造建築物・法隆寺とは?】
法隆寺は、奈良県斑鳩町にある聖徳宗の総本山で、「法隆学問寺」と称し、別名「斑鳩寺」や「鵤僧寺」とも言われているの。
南都七大寺の1つで、現存する世界最古の木造建築物なんだ。
1993年、ユネスコの世界文化遺産に姫路城とともに、日本ではじめて登録されたお寺なんだよ。
【法隆寺の歴史】
聖徳太子は飛鳥時代の601年に、現在の奈良県生駒郡斑鳩町に斑鳩宮を造営し、607年に法隆寺を建立したよ。
約18万7千㎡もの広大な境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の貴重な建造物や宝物類がたくさん存在しているんだ。
法隆寺は現存する世界最古の木造建築物で、金堂、五重塔、中門、回廊を主体とする西院と、夢殿を中心とする東院とに分かれているの
飛鳥様式の西院伽藍は、創建時のものなのか、天智9年(670年)に焼失後再建されたものかについて論争が続いたんだけど、1939~1983年に行われた発掘調査の結果、焼失後8世紀初めまでに、少し離れた現在地に再建されたことが証明されたんだ。
東院は天平年間(729~749年)に斑鳩宮の旧構を寺としたもので、天平様式を伝える八角堂の夢殿をはじめ、伝法堂、絵殿、舎利殿、回廊、鐘楼、諸門など、平安~室町時代に渡る建築物が集まっているよ。
これらの仏教建築物の多くは国宝建造物に登録されているよ。
また金堂の壁画や、「薬師如来坐像」「釈迦三尊像など寺宝の多くも、国宝に指定されているの。
国宝・重要文化財に指定の建物や宝物類は、合計約190件、その数は2,300点を超えているんだよ。
ものすごい数だよね。
【法隆寺を建立した聖徳太子】
聖徳太子は推古13年(605年)に飛鳥から現在の東院の地にあたる斑鳩宮に移り住み、宮に接して建立されたのが現在の西院伽藍の前身・若草伽藍なんだ。
寺院の立地としては、のちの奈良街道に面していて、聖徳太子が斑鳩に居を構えた際には、飛鳥と斑鳩を結ぶ「太子道」と難波・河内と斑鳩を結ぶ「龍田古道」
の接点となっていたんだ。
大和川の水運にとっても利便性の高い場所で、交通の要衝だったんだよ。
聖徳太子は用明天皇の第二皇子で蘇我氏系の皇子なんだ。
法隆寺を築き、仏教を日本中に広めた人物で、わずか20歳にして摂政となり天皇に変わって政務をとる役職についたんだ。
聖徳太子は、中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、法隆寺以外にも四天王寺、中宮寺、広隆寺などの寺々を建立。
推古天皇(聖徳太子の叔母で、はじめての女帝)、蘇我氏とトロイカ体制を敷き、冠位十二階、憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などによって、国の発展に貢献したよ。
聖徳太子は推古30年(622年)に49歳で亡くなっており、飛鳥時代の英雄となるんだ。
才能の豊かさや万能ぶりから聖徳太子自信が信仰の対象となり、聖徳太子は観音菩薩の生まれ変わりであるとされるようになったそう。
聖徳太子を祀った太子堂は中世以降大流行して、日本各地に建てられ、現在でも数多くの太子堂が存在しているよ。
法隆寺は聖徳太子にあやかって、「学業成就」「入学祈願」「諸願成就」などのご利益があるとされているんだ。
現在では全国から多くの学生が修学旅行などで訪れているよ。
奈良のお寺の中でも抜群の知名度を誇っていて、誰もが知る有名な観光スポットだよね。
【法隆寺が日本最古の木造建造物でありえた理由って?】
法隆寺と言えば、世界最古の木造建造物として有名だよね。
ではなんで、数ある木造建造物の中でも法隆寺だけが1300年以上もの時を乗り越えることができたんだろう?
それは古代日本の木造建築技術のすばらしさはもちろんのこと、法隆寺自身が時の権力に関与しない純粋な学問の社であったことが関係しているんだ。
平安時代から安土桃山時代にかけて寺院は、多くの土地と僧兵を持って、政治に口出しすることも多かったの。
この頃の寺院は大名並みの勢力を誇ることも珍しくなかったんだ。
そのため、政変が起これば多くの寺社は攻撃の対象となって、戦火に見舞われ貴重な建造物は消失してしまったの。
戦火によって消失した寺社は全国各地にあり、その中でも有名なのが織田信長に攻められた比叡山や石山本願寺、松永久秀や平重衝に焼き討ちされた奈良の東大寺などがあるよ。
法隆寺は、そのようなお寺とは違い、政治に関与することなくただひたすらに仏教の教えを学ぶお寺として精進してきたんだ。
そのため、戦火に巻き込まれることなく、現在までその姿を残すことができた…と考えられているよ。
【法隆寺の五重塔(国宝)は日本最古の塔】
法隆寺西院にそびえ立つ五重塔は、斑鳩三塔の1つ。
法隆寺のシンボル的存在で、高さ約31.5mで、飛鳥時代に造られたとされる日本最古の五重塔なんだ。
五重目の軸部が初層の半分の大きさとなっていて、これに深い軒の出が相まって安定感を与えているよ。
バランスの取れた美しい形をしており、全体が調和のとれた二等辺三角形に収まっているの。
法隆寺の五重塔は「積み上げ構造」と呼ばれる建築方法で建てられているんだ。
この建築方法は、なんと東京スカイツリーにも採用されているそう。
塔の真ん中にある心柱の下にある心礎と言われる場所があって、そこには仏舎利(釈迦のお骨)が納められているんだ。
五重塔最下層の心柱の四方には、塑土で洞窟のような舞台を造っていて、釈迦に関する四つの説話から四つの場面を塑像の小群像で表しているよ。
「塔本塑像」と呼ばれるこの小群像は塔が完成した後、和銅4年(711)に造られたものなの。
東面「維摩詰像土」は維摩経に説かれた場面で、病の維摩居士を文殊菩薩が訪ねて問答をはじめるんだ。
これを聞こうと、仏弟子たちが集まった様子を表現しているの。
残念ながら、中に入って見学することはできないんだけど、下層階から覗くことはできるよ。