奈良の大仏と言えば東大寺!約260万人もの人が大仏事業に関わったって本当?大仏豆知識を徹底解説!
2021年7月8日東大寺の穴場スポットはここだ!大仏様だけじゃない!たくさんの見どころをまとめてご紹介
2021年7月12日奈良の大仏や、金剛力士像などで知られる東大寺は、世界遺産に認定されており世界中からたくさんの観光客が訪れるよ。
修学旅行で奈良の大仏を見に行ったという人も多いはず。
ここでは、東大寺を訪れた際に絶対に見ておきたいスポットや、おすすめの回り方をレクチャーするね。
目次
【見どころいっぱいの東大寺】
東大寺と言えば大仏様だよね。
しかし東大寺には大仏の他にもたくさんの国宝があるんだ。
広大な敷地を持つ東大寺には、8つの国宝建造物、14件の国宝仏、その他絵画・書籍など9つの国宝があるよ。
大仏や南大門、金剛力士像などは有名どころだから知っている人も多いよね。
それ以外にもたくさんの見どころがあるから、参拝前にはしっかりとチェックしてから訪れよう!
ちなみに法華堂は建造物だけではなく、中に安置されている仏像全てが国宝指定されているんだよ。
1つの場所でこれほどたくさんの国宝が見られる場所は、日本でも数えるほどしかないの。
【絶対に見ておきたい!東大寺のおすすめスポットとは?】
広大な敷地を持つ東大寺には、たくさんの見どころがあるよ。
敷地内は自然豊かで、美しい池や石段もあるの。
桜や紅葉の季節には素敵な写真が撮れるスポットも点在しているよ。
<南大門(国宝)>
参拝のスタートとなる南大門は国宝指定で、東大寺の正門になるの。
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊。
現在の門は、鎌倉時代初期の建仁3年(1203年)に「大仏様」という建築様式で再建されたんだ。
その高さ25.46mもあって、どっしりとした構えをしている日本最大級の山門だよ。
門の中から上を見上げると、天井はなく柱と貫だけのシンプルな造りであることが分かるの。
屋根裏まで達する大円柱18本は21mにも及ぶんだよ。
まさに大仏殿にふさわしい門だよね。
南大門を通る時には、ぜひ上を見上げてみよう!
<金剛力士像(国宝)>
南大門の正面左右にあるのが、日本最大の木造金剛力士像だよ。
この金剛力士像は、鎌倉時代の名仏師である運慶と快慶が一門の仏師たちを率いてたった69日間で造り上げたと言われているの。
筋肉隆々の体と恐ろしい顔で、拝観者を見つめているよ。
大仏殿に向かって左側にあるのが口を開けた「「阿行(あぎょう)像」で、右側にあるのが口を閉じた「吽行(うんぎょう)像」なんだ。
どちらの像も力を込めぐっと開いた掌、地面を固く踏みしめる足、筋骨隆々の体、風にたなびく布の表現、恐ろしい形相など見れば見るほど迫力を感じることができるよ。
この金剛力士像は一体につき約3,000ものパーツを組み合わせたそう。
そんな大変な作業をわずか69日間という驚異的な速さで作り上げたというのはびっくりだよね。
<大仏殿(国宝)>
世界最大級の木造建築である金堂は盧舎那仏(大仏)を安置しているので大仏殿と呼ばれているよ。
創建から2度にわたって焼失・再建。
現在の建物は、江戸時代中期の宝永6年(1709年)に再建されたもの。
その壮大な建物はすばらしく、近くで見ると雄大さに驚くよ。
平成24年には大仏殿内、廻廊、霊名所、授与所の照明装置を全てLED化され、消費電力を抑え、熱や紫外線もほとんど出なくなったそう。
大仏殿の高さは約48m、正面の幅は約57m、奥行きは約50m。
世界最大級の大きさを誇っているけれど、創建当時に比べると横幅は2/3に縮小されているそう。
創建当時は横幅が約88mもあったんだよ。
大仏殿の正面にある金銅八角燈籠もぜひチェックしよう。
この燈籠は奈良時代の大仏開眼と同時期に鋳造されたもので国宝指定。
四面に当時の楽器を奏でる菩薩、残りの四面に雲の中を駆ける獅子が彫られているよ。
大仏殿の中に入ると、大仏様が安置されているの。
大仏殿中は左回りで一周できるようになっていて、虚空蔵菩薩、如意輪観音、広目天、多聞天などの仏像の他、創建当時の東大寺の復元模型などもあるよ。
大仏殿の中は自由に撮影できるので、大仏様の写真をしっかり撮っておきたいね。
<柱の穴くぐり>
大仏殿にある「柱の穴くぐり」はぜひチャレンジしてほしい!
穴のサイズは30㎝×37㎝で大仏の鼻の穴と同じ大きさになっているの。
なぜ柱に穴が空いているのか?については、鬼門除けや材木の採寸間違いなど諸説あるよ。
この穴をくぐることが出来れば、無病息災、祈願成就などの御利益があるそう。
<鐘楼(国宝)>
鐘楼は鎌倉時代初期の承元年間(1207〜1211年)に再建されたもの。
大仏様を基に一部禅宗様風の手法を取り入れた雄大で豪快な建物に、巨大な鐘がぶらさがっているよ。
鐘は、高さ3.9m、直径2.7m、重さ約26.3tの巨大なものなんだ。
奈良時代中期の天平勝宝4年(752年)の、大仏開眼供養の時に使用されたと言われているよ。
<二月堂(国宝)>
奈良時代中期の天平勝宝4年(752年)に建てられたものの焼失し、現在の建物は江戸時代中期の寛文9年(1669年)に再建されたもの。
旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることから、「二月堂」と呼ばれるようになったよ。
本尊は大観音、小観音と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されていない絶対秘仏なんだ。
<法華堂(国宝)>
法華堂は別名三月堂とも呼ばれていて、正堂と礼堂の2つの建物を一体とした双堂だよ。
奈良時代前期の天平19年(747年)に建てられた東大寺の中で最も古い建物であり、礼堂は鎌倉時代の建物になるよ。
正堂と礼堂は、元々別々の建物だったけど、文永元年(1264年)に1つの建物になったの。
それぞれの時代の建築様式で建てられている法華堂だけどよく調和がとれていて、日本の名建築の1つとして数えられているよ。
<三昧堂(重要文化財)>
三昧堂(さんまいどう)は普賢菩薩を安置しているお堂なので「普賢堂」、4月に法華三昧会が行われるので「四月堂」とも呼ばれているよ。
現在の建物は江戸時代に建てられたものだよ。
<戒壇堂>
天平勝宝6年(754年)聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真から仏教の戒律を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立。
現在の建物は、江戸時代に再建されたもので、堂内には天平彫刻で写実的な四天王像があるよ。
<千手堂>
千手堂は戒壇堂の西側にあるお堂。
鎌倉時代後期に、東大寺の大勧進に任ぜられた圓照上人は、諸堂の造営修理に力を注ぎ、千手堂も圓照上人の新造の1つ。
文安3年(1446年)、僧坊からの失火により戒壇院の主な堂舎は焼失したものの、千手堂は難を逃れたよ。
しかし永禄10年(1567年)、三好・松永の兵火によって焼失し、慶長年間(1596年〜1615年)に寺僧成秀の尽力によって再建されたの。
千手堂は普段は公開されていないんだけど、令和2年7月4日から約3年間の特別公開を行っているんだ。
須弥壇上に安置されている黒漆の春日厨子の中に、四天王立像と千手観音菩薩立像が安置されているよ。
また堂内には鑑真和上座像や愛染明王座像も安置されているの。
特別公開のタイミングで訪れておきたいね。
<転外門(国宝)>
転外門は東大寺では数少ない奈良時代の建物。
境内西北、正倉院の西側にあって、三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門なの。
奈良時代の八脚門としては、法隆寺東大門とこの転外門だけしか残っていないとても貴重なものなんだよ。
平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火に遭いながらも焼け残った物のひとつで、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構なんだ。
鎌倉時代の修理で改変されているものの、基本的には奈良時代の建物だよ。
<俊乗堂>
俊乗堂は鐘楼の北側に元禄年間、公慶上人が重源上人の功績を讃えて建立したお堂。
堂内中央には国宝「重源上人坐像」が安置されているよ。
この重源上人坐像は年2回のみ特別公開されるんだ。
<開山堂>
開山堂は開山良弁僧正の像を祀っているお堂で、良弁堂とも呼ばれているよ。
内陣中央には八角造の厨子がすえられ、国宝の僧正像が安置されているんだ。
<勧進所>
貞享3年(1686年)、露座のままだった大仏の修理や大仏殿の再建のため、公慶上人は東大寺勧進所を建てて、復興の寺務所としたんだ。
この勧進所を拠点として全国にくまなく行脚し、勧進に命をかけたの。
勧進所には、国宝「僧形八幡神坐像」が安置されている八幡殿、重要文化財「五刧思惟阿弥陀如来像」が安置されている阿弥陀堂、重要文化財「公慶上人坐像」が安置されている公慶堂があるよ。
勧進所は東大寺鎮守であった手向山八幡宮の祭礼である「転害会」の祭事・法要に合わせて、毎年10月5日にのみ特別公開されているんだ。
当日は10時~16時まで拝観できるよ。
それ以外の日程には公開されないから、どうしても見てみたい!という人はその日に合わせて参拝するようにしよう。
【東大寺参拝と合わせて行っておきたい正倉院とは?】
正倉院は東大寺大仏殿の北北西に位置し、校倉造りが有名な奈良時代の建物。
国宝にも指定されているんだ。
この正倉院には聖武天皇の七回忌に、光明皇后が納めた天皇の遺品や、大仏開眼供養の際に使用された仏具・調度品、古文書、遣唐使が持ち帰った中国・インド・ペルシャの多彩な工芸品など約9000点もの宝物が納められているの。
外観は見学できるものの、中には入ることができないよ。
毎年秋には、奈良国立博物館でその宝物が公開される正倉院展が開催されているんだ。
奈良・平安時代の中央・地方の官庁や大寺には、重要な物品を納める正倉が設けられていたの。
正倉がいくつも集まっている一廓が「正倉院」と呼ばれたんだ。
全国あちこちに置かれていた正倉は、いつしかなくなり、東大寺正倉院の正倉一棟がそのまま残ったよ。
この正倉院宝庫は1,000年余り朝廷の監督の下に東大寺によって管理されていたものの、明治8年(1875年)に内務省の管轄となり、最終的に宮内庁の所轄となったんだ。