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興福寺の五重塔は日本で2番目に高い塔?国宝指定の建造物がたくさんある興福寺とは?

興福寺東金堂(国宝)と五重塔(国宝), 奈良県奈良市 from wikipedia

 

仏教の伝来地として知られる奈良のシンボルと言えば「五重塔」が有名だよね。

奈良には世界に誇る国宝名塔がたくさんあるんだけど、奈良市にある興福寺の五重塔は国宝にも指定されているんだ。

今回は法相宗大本山の興福寺についてまとめてみよう。

 

中金堂(左)と東金堂(右) from wikipedia

 

 

【興福寺の歴史】

 

法相宗の大本山として知られる興福寺は、「古都奈良の文化財」の八資産の1つとして世界遺産に登録されているの。

その起源は京都山科の藤原鎌足邸に建立された山階寺(やましなでら)なんだ。

 

山階寺は天智8年(669年)に藤原鎌足が思い病気を患った際に、鎌足の夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して創建されたお寺なの。
山階寺には釈迦三尊や四天王などのたくさんの諸仏が安置されたそう。

 

壬申の乱(672年)後、飛鳥に都が戻った際には、山階寺も移され、その地名を取って「厩坂寺(うまやさかでら)」と名付けられたの。
さらに、平城遷都の際には、藤原鎌足の息子である藤原不比らの計画によって厩坂寺は移され「興福寺」という名前になったんだ。
つまり興福寺と藤原氏は切っても切れない関係なんだね。

 

その後、天皇や皇后、富士原氏の人々によって北円堂、東金堂、五重塔など次々と堂塔が建てられ整備が進められたんだ。
この造営工事は政府直営で進められたものが多く、奈良時代には「奈良の四大寺」、平安時代には「平安の七大寺」の1つに数えられるほどだったの。

 

興福寺は藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大。
鎌倉・室町時代には大和の守護職的な勤めをするほどの力を持っていたんだ。
最盛期には堂塔伽藍が百数十棟、僧侶は4,000人にものぼったと言われているよ。
すごい規模だよね。

 

平安時代以降はたびたび火災に遭い、治承4年(1180年)には平氏による南都焼討ちでほとんどの建物が焼失するものの、その後復興し大和一国を支配するほどの勢力をもったんだ。

鎌倉幕府・室町幕府の時代には、大和国には守護を置かずに、興福寺がその任務にあたったほど大きな力があったの。
さらに文禄4年(1595年)の検地では「春日社興福寺」合体の知行として2万1000余石と定められて、徳川政権下でも強さを保っていたんだ。

 

その後、明治時代には政府による神仏分離令や社寺領上知令に伴う廃仏毀釈によって一時は荒れるものの、寺の僧や有縁の人達の努力によって復興が進展。
現在は中金堂の復元も進められているの。

 

興福寺には国宝や重要文化財指定の建築物が数多くあり、北円堂(鎌倉時代再建)・三重塔(鎌倉時代再建)・五重塔(室町時代再建)・東金堂(室町時代再建)の4棟が国宝建造物に指定されているの。

 

現存する建物は、創建当時の姿が踏襲されているのが特徴で、天平時代の建物の姿や技術を学ぶことができるよ。
さらに建築物だけではなく、仏教彫刻の名品を数多く所蔵しているんだ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
歴史遺産がたくさんだよ!!

 

東金堂内の諸仏 from wikipedia

 

 

【興福寺と藤原氏の関係】

 

興福寺の前身は藤原鎌足の病気平癒のために夫人である鏡女王が京都山科の私邸に建立した山階寺になるの。

その後、飛鳥に移転して「厩坂寺」を建立し、平城遷都の際には、鎌足の息子・藤原不比らが厩坂寺を現在の地に移築し、「興福寺」と改名したんだ。
つまり興福寺と藤原氏は切っても切れない関係なんだ。

 

その後、興福寺は藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大。
鎌倉・室町時代には大和の守護職的な勤めをするほどの力を持っていたと言われていて最盛期には堂塔伽藍が百数十棟、僧侶は4,000人にものぼったと言われているよ。

お坊さんレモン
お坊さんレモン
4000人も僧侶がいるなんてすごい人数です〜

 

木造弥勒仏坐像(北円堂) from wikipedia

 

 

【興福寺は何度も災害に見舞われた】

 

興福寺は何度も火災に見舞われたんだけど、その度に復興を繰り返していき、さらに寺勢を拡大していったという歴史があるんだ。
特に治承4年(1180年)の源平の争いの最中に、平重衡の南都焼討ちによる被害は甚大だったよ。

 

 

東大寺とともに、興福寺はその大半の伽藍が焼失してしまうんだ。
火災後、興福寺に所属した運慶ら慶派仏師の活躍によって驚異的な復興を遂げることになるよ。

 

興福寺には、治承大火の以降に復興された御像が数多く残されているんだ。
ちなみに興福寺のシンボルでもある五重塔、三重塔は南都焼き討ち後に再建されたもので、現存建物では興寺寺内で最古のものになるよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
争いで焼かれても再興してくれたおかげで今もあるんだね

五重塔 from wikipedia

 

 

【興福寺の五重塔は日本で2番目に高い塔!そもそも塔って何?】

 

興福寺には五重塔や三重塔などがあるんだけど、そもそも塔って何のために作られたのか知ってる?

塔は釈尊の舎利(お釈迦様の遺骨のこと)を納める場所として造られた建物で、当時の仏教寺院においては権威の象徴だったんだ。

 

つまり、塔を建てることは仏法の護持で、大きな功徳とされていたんだよ。
塔が高く建てられているのは、遠くからでも人々が拝むことができるようにするためなんだ。

 

興福寺の五重塔は天平2年(730年)に興福寺の創建者である藤原不比等の娘・光明皇后の発願で建立されたの。
その後、5回の焼失・再建が行われ、現在の塔は応永33年(1426年)頃に再建されたものなんだ。
興福寺の五重塔は、日本で2番目に高い塔で、古都奈良を象徴する塔としても知られているよ。

 

三手先斗栱と呼ばれる組物を用いていて、奈良時代の流れを随所に残している一方で、中世的で豪快な手法も大胆に取り入れているのが特徴なんだ。
創建当初の高さは約45mで、各層には水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経が安置され、当時としては日本で最も高い塔だったの。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
釈尊の舎利がある塔すら燃やしてしまう争いって。。無情ですな。。。

 

木造四天王立像(中金堂)/左から順に、持国天像、広目天像、増長天像、多聞天像 from wikipedia

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
木造四天王立像もめっちゃカッコいい。

 

【国宝館に安置されている有名な仏教彫刻とは?】

 

興福寺の国宝館には奈良時代から伝わる興福寺の宝物や、社会の教科書にのっている旧山田寺の仏頭、思春期の苦悩の表情を浮かべる阿修羅像など、国宝の仏像が数多く展示されているの。

 

2010年3月にリニューアルオープンしていてとても見学しやすくなっているよ。

今回は国宝館でぜひとも見ておきたい仏像をいくつかご紹介しましょう。

 

 

<乾漆八部衆立像(国宝)>

阿修羅像を含む乾漆八部衆立像はとても人気があって、近年の仏像ブームの火付け役になったことでも知られているんだ。
この乾漆八部衆立像はインドで古くから信じられてきた異教の8つの神を集めて、仏法を守護し、仏に捧げ物をする役目を与えて、八部衆としているの。

 

仏教の教えに基づいた神ではないため、その生い立ちや性格、また姿やかたちは様々に説かれていて、不明な部分が多いんだ。
この乾漆八部衆立像は西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた像で、脱活乾漆造という技法で造られているの。

 

 

<乾漆十大弟子立像(国宝)>

十大弟子とは釈尊の弟子の中でも、優秀な10人の高弟のこと。

脱活乾漆造で、髪を剃り、袈裟を着て、板金剛を履き、洲浜座に両足をそろえて直立しているよ。

この像の十大弟子はインド人でありながら、日本人のような顔立ちをしているんだ。
顔の表情、手の形、袈裟の折り目の起伏や流れなどは10人それぞれ異なり変化を持たせていて、個性的な表現となっているよ。

 

<木造千手観音菩薩立像(国宝)>

木造千手観音菩薩立像は42手を持ち、あらゆる方法で人々を救う観音菩薩の慈悲を象徴しているの。
この像は5mにも及ぶ鎌倉時代再興期の食堂本尊だよ。

 

 

金剛力士像(吽形), 金剛力士像(阿形)from wikipedia

 

<木造金剛力士立像(国宝)>

金剛力士と言えば南大門などの左右に安置されているよね。
この木造金剛力士立像は鎌倉時代再興期の西金堂須弥壇上に安置されていたもの。

バランスのよさ、リアル感のある、筋肉表現などこの像からは鎌倉彫刻の特徴を見てとれるんだ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
すごい迫力です!!

 

<銅造仏頭(国宝)>

銅造仏頭は天武天皇14年(685)に、天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂のために造った飛鳥山田寺本尊像の頭部になるよ。
この銅造仏頭は興福寺の鎌倉再興期の文治3年(1187年)に、東金堂本尊薬師如来像として迎えられたものの、応永18年(1411)に堂とともに被災。

 

被災後、唯一残った頭部が応永22年(1415年)に再興された現東金堂本尊台座に納められていたところを、昭和12年(1937年)に発見されたんだ。

白鳳彫刻の基準作として高く評価されていて、弧を描きながら流れる眉、直線的に伸びる鼻、ふっくらした唇、顎の張ったたくましい面相は若々しさを感じられるよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
仏像さま好きにはたまらない国宝館です!!
お坊さんレモン
お坊さんレモン
五重塔も三重塔も訪れたら絶対、写真パシャっとしちゃいますよね
お坊さんレモン
お坊さんレモン
争いを乗り越えて歴史を超えてきた数々の歴史遺産を心静かに堪能しましょう♪

 

公式サイト → 興福寺