信長に寵愛された小姓!本能寺の変で信長とともに討たれた森蘭丸はどんな人物だった?
2021年2月18日「源さん」と呼ばれて慕われていた新撰組六番隊組長・井上源三郎はどんな人物だった?
2021年2月18日
信長の小姓として活躍した森蘭丸は、本能寺の変で信長とともに亡くなってしまうよ。
わずか18歳という若さでこの世を去った森蘭丸は、聡明な小姓であったと言われているんだ。
ここでは森蘭丸にまつわる様々なエピソードをまとめてみよう。
【森蘭丸にまつわるエピソードとは?】
森蘭丸に関するエピソードは多いんだよ。
ここでは代表的な森蘭丸にまつわるエピソードをまとめてみよう。
<光秀の所領をもらった蘭丸が本能寺の変の原因になった?>
信長は蘭丸に褒美をあげようとしたものの、信長が提示したものに対して蘭丸はそれを望まなかったそう。
そこで信長はお互いの手に蘭丸が欲しがっているものを書いて、それが一致すれば褒美として与えようと提案。
すると見事に内容が一致し、蘭丸が欲していた近江坂本6万石を与えることになったんだ。
近江坂本は、蘭丸の亡き父の領地であったんだけど、その当時は光秀の本拠地・坂本城があったの。
光秀はこの話を襖越しに聞いていて、自らの所領を森蘭丸にあげる信長を恨んだと言われているよ。
このことが本能寺の変の動機の1つになっているのでは?と考える人もいるんだよ。
<鉄扇で光秀を折檻した森蘭丸>
本能寺の変が起こる1ヶ月前に、信長は安土城を訪れる徳川家康を接待するために、その接待役を明智光秀に命じたんだ。
これを受けて光秀は、贅沢の限りを尽くし家康をもてなしたんだ。
しかし腐った魚を出した(諸説あり)光秀に対して、信長は激怒。
突如、接待役を解任して、秀吉軍の救援に向かうように命じたの。
信長は、「関東の上客に対してこのようなもてなしをするのならば、朝廷から勅使を迎えるときはどうするつもりだ」と光秀を叱責。
反省の色を見せない光秀に対して、信長は「誰か光秀の頭を打て」と命令するものの、家臣たちは誰も名乗りをあげなかったそう。
そんな中で、小姓であった森蘭丸は自ら立ち上がって、鉄扇で光秀を打ったと言われているよ。
<几帳面でまじめな性格だった?>
「老談一言記」や「朝野雑載」に記されている内容を見ると、森蘭丸は几帳面でまじめな性格であったことがよく分かるよ。
信長は自分の爪を切った後、切った爪を扇子の上にのせて、蘭丸に捨ててくるように命じたそう。
蘭丸は命令通りに爪を捨てにいったものの、切った爪が9つしかないことに気づき、信長の部屋に戻って残りの爪を探したんだ。
この逸話からも分かる通り、蘭丸は素直でまじめで几帳面な性格であることが分かるね。
<閉まっていた障子を閉める>
「鳩巣小説」には、14歳の頃の蘭丸の逸話が記されているよ。
信長は隣の座敷の障子を閉めてくるように蘭丸に指示。
蘭丸は座敷の障子を閉めに行くものの、実際には障子は閉まっていたんだ。
そこで蘭丸は自ら障子を開けて、もう1度音を立てて締めたそう。
これは障子が開いているといった信長の言葉は間違っていなかったということを周囲に知らせるために行った蘭丸の気配りだったんだ。
小姓として、蘭丸は細かい配慮ができる人物だったんだよ。
<わざと転び言葉通りにする>
僧侶が献上した大量のみかんを披露するために、蘭丸はみかんを台に載せて運んでいたそう。
信長はみかんを運ぶ蘭丸を見て「その方の力では危ない、倒れるぞ」と注意。
それを聞いた蘭丸は信長の言葉通り、部屋の真ん中で台ごとひっくり返り転倒したんだ。
実はこの転倒は、蘭丸がわざと転んだんだよ。
主君が倒れると言ったのだから、その判断が正しかったことを示すためにわざと転んだ蘭丸は非常に聡明であることが分かるね。
<蘭丸は美少年だった?>
森蘭丸は美男子であるというイメージが広く知られているよ。
これは豊臣秀吉の一代記「絵本太閤記の影響が大きく、同書では森蘭丸を「元来聡明英智の美童」と評しているんだ。
美少年であったから信長の寵愛を受けたとも記されているんだよ。
また蘭丸の美少年というイメージは、華やかな名前の印象も影響しているの。
実際のところ、森蘭丸が美男であったかどうかについては、同時代の史料では記されていないため、はっきりとしたことは分からないんだよ。