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2021年2月15日光秀が家康の饗応役を解任させられたのは魚を腐らせたことが原因なの
2021年2月15日
「麒麟がくる」第43回のエピソードでは安土城で行われた信長による家康接待の宴が描かれているよね。
この宴の饗応役(接待役)を務めたのが明智光秀だったんだ。
ここでは、光秀が饗応役を務めた家康接待の宴についてまとめてみよう。
目次
【家康の接待役となった光秀】
天正10年(1582年)4月21日、武田攻めで勝利した織田信長は意気揚々と安土城へと凱旋。
信長の同盟相手であった徳川家康に対しては、その労を報いるために駿河一国(現在の静岡県)を与えたよ。
家康は、駿河拝領の御礼を言うために安土城へ参上することになり、5月15~17日の3日間、家康の饗応役を任されたのが光秀だったんだ。
【宴ではどんな料理が出されたの?】
宴で実際に出された料理に関しては、献立などが残っていないのでどのようなものが出たのかは分からないんだ。
ただ当時としては贅をつくした料理でもてなす予定であったのは間違いないよね。
家康への接待時の料理は分からないものの、その4年前に光秀が開催した茶会では、以下のような献立の料理が出されたんだ。
その際の料理は「本膳」と「後段」に分かれているの。
本膳は、
・鮒のなます(別皿の調味料をつけて食べる)
・生靏汁(塩漬けにしていない鶴で作った汁。鶴は信長から拝領したもの)
・アへ物入テ(するめと鰹節を酒に浸して和えたもの)
・飯タケノコ入テ(筍入りのご飯)
・ウツラ焼鳥(ウズラの焼きもの)
・土筆ウト(つくしとウドの和え物)
・薄皮のアンチウ(薄皮饅頭)
・イリカヘ(焼いたカヤの実)
これらの料理を黒塗りの「折敷」に載せて出したと言われているよ。
もう1つの「後段」は
・サウメン、レイメン(冷たい素麺で、山椒粉をつけて食べたと言われている)
・せりやき(芹を酢で煮たもの)
・ウケイリノ吸物(魚のすり身の吸物)
・印籠ニ味噌、山枡、ムキクリ、きんかん(印籠に入れた味噌、山椒、剝いた栗、キンカンの身)
だったんだ。
この当時、調味料は種類も少なく、塩やみそ、酢、山椒などを使うのみだったの。
四條流と呼ばれる平安時代以来続く宮中料理の伝統を継ぐ格式高い料理法と戦国時代の武家料理を融合させた心配りの高い御膳だったと言われているんだ。
家康への接待時にはこの茶会の際の献立よりもさらに豪華絢爛なものであったかもしれないね。
【光秀の不手際で饗応役を解任された?】
これだけの料理を用意していたにも関わらず、信長は光秀の手際の悪さから突然、饗応役を解任したと言われているんだ。
この理由についてはいくつか諸説あるんだけど、はっきりしたことは分かっていないんだよ。
本能寺の変を起こしたのは、このことが要因としてあるのでは?と怨念説を肯定する人もいるんだ。
ただ実際に饗応役を解任されたことは確かで、信長から秀吉率いる中国戦線に向かうように指示されているのは事実として分かっているの。
毛利方の備中高松城の水攻めをしていた豊臣秀吉が信長に応援要請をしたことで、光秀に中国戦線に向かうように命じたと言われているんだ。