明智光秀の好物は「粽(ちまき)」だった!戦国武将はグルメ家が多いって本当?!
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2020年8月7日
戦国武将は色々な芸や特技を持っていたんだけど、明智光秀も様々な特技があったと言われているんだ。
ここでは明智光秀の特技についてまとめてみよう。
目次
【明智光秀の特技は3つ】
明智光秀は3つも特技があったと言われているんだ。
それが
・茶会
・連歌
・鉄砲射撃術・運用術
だよ。
それぞれまとめてみよう。
【光秀がはまった茶会とは?】
光秀の1つ目の特技は「茶会」だよ。
光秀は、津田宗及と今井宗久に茶の湯を学び、そこからはまってしまうんだ。
2人から茶の湯を学ぶと、坂本城で毎年のように茶会を開催していたと言われているよ。
茶会はお客を招いて開催するんだけと、光秀は名物と言える立派な茶器や掛け軸を披露して、お客をもてなしていたそう。
光秀がどれくらいの茶器や掛け軸を所有していたのかは定かではないものの、坂本城跡地を調査したところ、信楽焼、瀬戸焼、常滑焼など多くの焼き物の断片が発掘されているんだよ。
このことからも、光秀がたくさんの茶器を持っていたことが分かるよね。
【プロも顔負けの実力を誇る光秀の連歌】
連歌とは和歌の上の句「五七五」と下の句「七七」を大勢で交互に読みあう歌のこと。
前句に関連した句を読むというルールがあり、次の人が句を詠みやすいように新たな情報を織り込みながら読む必要があるんだ。
そのため連歌は知識やセンスが問われる遊びだったと言われているよ。
光秀の連歌の腕前はプロも顔負けと言われるほどだったそう。
本能寺の変を起こす前にも、愛宕山で連歌の会を行っており、この連歌の会で「ときはあめが下知る五月哉」という発句を詠んだことは有名だよね。
光秀は里村紹巴(さとむらじょうは)から連歌を学んだと言われているの。
里村紹巴は、中世から近世初期に活躍した連歌会の第一人者であり、光秀と親しい間柄だったんだ。
里村紹巴は愛宕山での連歌会にも参加しているんだよ。
また里村紹巴と明智光秀は、細川忠興が開催した連歌の会にも出席しており、レベルの高い連歌を詠んだことが推測されるね。
光秀は連歌を学んだあと、坂本城で茶会をしながら連歌の会を幾度となく開いたそう。
それほどまでに、光秀は連歌の腕前がすごかったんだよ。
【鉄砲射撃術・運用術を考案した光秀】
光秀の3つ目の特技は、鉄砲の射撃術や、運用術の考案だよ。
鉄砲の射撃術に関しては、光秀が朝倉義景に仕えていた時、加賀の一向一揆戦に参加した時のエピソードがあるよ。
光秀はこの加賀一向一揆衆討伐戦の時に、鉄砲を使って加賀の一向一揆衆を300人も倒したと言われているんだ。
また、三好三人衆が本圀寺へ攻撃を仕掛けてきた時には、大筒を用いて蹴散らしたそう。
また、光秀は鉄砲の運用術に関しても抜群の腕前だったそう。
金ヶ崎の退去戦の際には、押し寄せる朝倉軍に対して、鉄砲を使って味方の退却を円滑にしたと言われているの。
光秀の鉄砲運用術はとても優れていて、実際にその運用術が発揮された戦もいくつもあるんだ。
代表的なのが「長篠の戦い」だよ。
長篠の戦いといえば、織田信長鉄砲の三段撃ちを用いて、武田軍率いる武田騎馬隊を壊滅させた戦いとして有名だよね。
実はこの長篠の戦いで、明智光秀は織田信長へ鉄砲運用術を進言したと言われているの。
つまり鉄砲三段撃ちの戦術を提案したのは、織田信長ではなく明智光秀だったんだ。
光秀には3つも特技があり、優れた武将であったことが分かるよね。
光秀は権謀術数にだけ長けていたのではなく、外交官としても秀でた能力を持っていて、、長宗我部元親と織田家の外交も受け持っていたんだよ。
つまり、光秀は何でも出来ちゃう万能タイプの戦国武将だったんだ。