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要害山城

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要害山城は山梨県甲府市にあるお城です。
武田氏館の詰城として築かれた山城で、国の史跡にも指定されています。
別名、「要害城」「積翠山城」と呼ばれており、標高770mの丸山と呼ばれる要害山中腹の傾斜地を中心に築かれていました。

築城は武田信虎時代の1520年6月。
武田氏は武田氏館の詰城として砦や狼煙台などを築いたそうです。

武田氏が滅亡後は、徳川氏の支配期を経て豊臣系大名が入城し、加藤光泰によって修築されます。
その後、関ヶ原の戦いの後に甲斐は徳川氏が領し、廃城となりました。
主郭に至る通路、枡形、曲輪、堀切、見張り台など遺構の他、要所を固める石垣もほぼ完全に残っています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒400-0011 山梨県甲府市上積翠寺町

 

要害山城は武田氏の山城であり、武田信玄が出生した城としても有名です。
武田信玄の父、武田信虎は1519年に新しい拠点として、平常に政務をとる躑躅ヶ崎館(武田氏館)と、有事に籠る詰めの城として要害山城を築城しました。
1520年には今川氏の武将である福島正成が甲斐へ侵攻します。
そこで、当時身重であった信虎の正室である大井夫人は要害山城に避難をして、その後信玄を出産するのです。

要害山城跡は、急な坂道を登らなければなりません。そこまで距離はないものの、山歩きの格好がベスト。
途中、堅堀、土塁などの看板はあるものの、夏場などは草木が生い茂っているので城跡跡が分かりにくいかもしれません。
夏よりも秋~冬にかけての方が遺構は見えやすいでしょう。