建昌城
2020年3月3日高山城
2020年3月3日大口城
大口城は鹿児島県伊佐市に合った島津氏の外城です。別名「牛山城」「牟田口城」とも呼ばれており、古典的な山城形式でした。
大口城は江戸時代には取り壊されてしまい、現在大口城址には空堀や土塁などは見ることができます。
大口城が築かれた大口の地はもともと日向国・都城、肥後国・人吉、肥後国・水俣、薩摩国・出水など交重要な薩摩・大隅・日向の3国間の交通の要衝でした。
その土地に築城された大口城は、保元の乱で勝者となった平信基の四男である平元衝が築城したと言われています。
大口城の城主はもともと、島津家家臣でしたが、室町自体には島津氏に抵抗した菱刈氏によって奪われます。
その後、島津氏は薩摩半島の全域を掌握するために菱刈氏と争い、1569年には島津氏が勝利。
大口城もそれ以降は島津氏の外城となったのです。
写真提供
〒895-2511 鹿児島県伊佐市大口里
大口城は現在、空堀や土塁しか見ることができませんが、登城口は2か所です。
北東側から登城する場合には、山神水天神社の鳥居から出て右手の細い道を進むと左手側に秋葉神社の看板があります。
そこが登城口になります。
急な階段を上れば、左手の展望台を背に堀底道を進むと、大手口に到着します。
大口小学校側から登城する場合には、大口小学校のグランド奥に登城口があります。
登城口から南に向かってすぐの脇道に入ると、大手口まで行くことができます。
大手口の正面、東側の秋葉神社のあるところを上ると主郭と思われる曲輪を見ることができ、東端には土塁も確認できますよ。
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