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東京最古のお寺と言えば浅草寺!意外と知らない浅草寺の秘密を徹底解説

東京で最も有名なお寺と言えば「浅草寺」だよね。

浅草寺は日本人だけではなく、海外の観光客からも人気の高い観光スポット。

入口にある「雷門」にかかる赤い大きな提灯は浅草のシンボルとして有名だよね。

今回は江戸情緒が残る下町・浅草にある浅草寺の魅力に迫ってみよう。

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
海外からの旅行者にも人気の浅草寺ですね♪

【浅草寺の歴史】

いつの時代も東京・下町を見守ってきた浅草寺の歴史は約1400年ととても古いんだ。

今から約1400年前の推古天皇36年、西暦628年に、檜前(ひのくま)浜成・竹成兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしている時に、一躰の仏像を発見したの。

その仏像を何度川に戻しても、網にかかることから、兄弟はその仏像を持ち帰って土地の長に見せたそう。
すると、その仏像が聖観世音菩薩の尊像であることが判明。
その尊像を祀るために作られたお堂が「浅草寺」の起源と言われているよ。

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
1400年も前!!

【庶民文化の中心であった浅草寺】

現在、浅草寺は東京屈指の観光スポットとして知られているよね。
江戸時代には庶民が飲み食いをする行楽の場として親しまれていたそう。

徳川幕府により庶民文化と商業の中心として発展を遂げた浅草は、当時の東京を支えていた下町の中心だったんだ。
武士の給料は当時お米で支払われていたんだけど、市民の食用米を含めて浅草には大量のお米が蔵に保管されていたそう。
また、そのお金を現金にかえる「札差」と呼ばれる商人もたくさんいたんだよ。

お米とお金が集まる浅草には人々がたくさん集まり、経済が発展。
それに伴って、水茶屋や見世物小屋などの娯楽施設が誕生し、宗教的な聖地という場所だけではなく、江戸有数の盛り場へと発展していったの。

明治維新後には公園として使われるようになり、現在は仲見世や飲食店が並ぶ観光地に発展したんだ。

【何度も被害を受けた浅草寺】

1400年もの長い歴史がある浅草寺では、1041年の大震災1079年の火災などによって大きな被害を受けたの。
その都度修復されてきたものの、1642年に門前町家からの失火によって、再び焼失。
その7年後に再建された浅草寺本堂は関東大震災の被害も免れて、約300年間は無傷を保っていたんだ。

しかし、1945年の東京大空襲によって、本堂を含む境内一帯は莫大な被害を受けてしまうの。
その後、1958年に再建されて、現在の姿となったよ。

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
大震災や東京大空襲も乗り越えて今もあるんですよね

【浅草寺の御利益とは?】

浅草寺の御利益は「所願成就」だよ。
縁結びや商売繁盛、学業成就など特定なご利益にあやかれるのではなく、心に願うあらゆることを叶えてくれるの。
参拝時には「南無観世音菩薩」と唱えて祈願するとよいと言われているよ。

【浅草のシンボル「雷門」の秘密を徹底解説!】

浅草に行くと一番に目につくのが、浅草寺の「雷門」だよね。
この雷門は浅草の象徴であり、浅草寺の総門になるよ。

正式名称は「風雷神門」と呼ぶの。
今回はこの雷門の秘密に迫ってみよう!

<雷門の大きさはどれくらい?>

雷門の大きさは、横11.4m、縦11.7m。
その中心にある赤提灯は、高さ3.9m、幅3.3、重さは700kgもあるそう。
近くに行けば、その大きさに圧倒されること間違いなし!

雷門の赤提灯は基本的にはいつでも吊るされているんだけど、5月に浅草神社で行われる三社祭の際には、神輿が通るためこの赤提灯が畳まれるんだ。
赤提灯がない雷門を見たい!という方は、ぜひそのタイミングで訪れてみよう。

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
赤提灯がない雷門の時もレアですね〜!

<雷門の赤提灯が作られた理由とは?>

雷門が作られたのは942年で、江戸時代から提灯が奉納されていたよ。

雷門の再建はパナソニックの創業者・松下幸之助氏によって寄進されたものなんだ。

松下幸之助氏が浅草寺で病気平癒の祈願をしたところ、体調が回復したことから、感謝の気持ちを込めて赤い大提灯の雷門の再建を寄進したんだって!

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
パナソニックの松下様が寄進したんですね〜〜!

<雷門の「風神・雷神像」>

雷門には風神雷神の像が設置されているよ。

赤い大提灯の両脇に設置されていて、門の右側が「風神」、門の左側が「雷神」の像になるんだ。
風神は風を司る神で、雷神は雷を司る神として広く信仰されているの。

風神雷神は浅草寺を風、雷、水害、火災から守るための神で、時代と共に人々の五穀豊穣への願い、風水被害・火災への恐れも結びついて、信仰に繋がっていったと言われているよ。

<赤い大提灯の底はどうなっているの?>

雷門の赤い大提灯の底には、実は見事な彫刻が隠されているの。
底には龍の彫刻が施されているよ。
隅田川で仏像が網にかかった時に、龍神が金鱗を輝かせて現れたことから、浅草寺を見守る神様として信仰されてきたんだ。

浅草は木造建築が密集しており、火災に弱い町だったの。
そのため雨を降らせて火災から人々を守ってくれる龍は「龍神」として崇められてきたんだ。

赤い大提灯の底にある「龍の彫刻」は、パワースポットとして人気があるから、門を通る際にはぜひ上を見上げみよう。

<雷門の反対側にある「天龍像」「金龍像」>

雷門から見て左側が「天龍像」、右側が「金龍像」だよ。
金龍が女性で、天龍が男性の姿をしているんだ。
この天龍像、金龍像は水を司る龍神と呼ばれていて、長年仏教徒を海の災難から守ってきたんだ。

【雷門以外にも浅草寺には多くの大提灯があるって本当?】

浅草寺と言えば雷門の大提灯が有名だよね。
実は雷門の大提灯以外にも、浅草寺にはたくさんの大提灯があるんだよ。

・本堂の「志ん橋大提灯」
・宝蔵門の「小舟町大提灯」
・鳥居の東側「二天門大提灯」

などがあるんだ。

特に鳥居の東側にある「二天門大提灯」は、戦災を免れた提灯で、二天門の建物は、重要文化財にも指定されているんだ。
ちなみに雷門の大提灯を合わせた4つの大提灯の中で最も大きいのは実は、本堂にある「志ん橋大提灯」だよ。

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
いろいろ見つけてみよ〜!

【浅草寺のおみくじは凶が多いって本当なの?】

浅草寺のおみくじは凶が出やすいという噂があるそう。
元々浅草寺のおみくじは、平安時代に日本のおみくじのルーツとされる比叡山延歴寺のお坊様・良源の「元三大師百籤」が関係しているんだ。

「吉」や「凶」の割合が決まっていて、おみくじ100本中、大吉16本、吉35本、大吉・吉以外の吉19本、凶が30本となっているらしいよ。
凶が出る割合は、100本中30本と確率30%になっているそう。

※現行の運用割合としては調査が必要です。

全てのお寺で凶の確率を同じにしているわけではなく、お寺によっては凶の割合を少なくしているところもあるそう。
そのため、浅草寺のおみくじは凶の割合が多い…と感じる人もいるんだって。

もしもおみくじで「凶」が出たら、おみくじの紙は鉄の棒に結ぼう!
これは「紙を結ぶ」行為が、神社仏閣との「ご縁つなぎ」の意味になるからなんだ。
凶が出ても、占い内容をポジティブに受け止めて、自分の指針にすることで運を切り拓くことができるよ。

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
30%が凶なら多く感じる人もいるかもしれません。

【浅草寺の風物詩!煙を被る「常香炉」の謎に迫る!】

浅草寺で煙を被る人々を見たことがある人は多いはず。
あれは「常香炉(じょうこうろ)」と呼ばれるものなんだ。

煙は「常香炉」という大きな陶器から発生したもので、この香炉に供えられた線香から巨大な煙が立ち上がるよ。
ちなみに線香は香炉の横に設置された販売所で買うことができるんだ。
線香の束には仏教の象徴である「卍」の印が入っているよ。

香炉は戦国時代末期に中国から伝わったもので、参拝者の体を清めるために利用する仏具の1つなの。
長い時を経るうちに、香炉の煙を体の悪いところにかけると治りがよくなるという、言い伝えが広まっていったんだ。

その経緯から、現在では参拝客が香炉の周りに集まるようになったよ。
頭に煙をかけると「頭をよくする、賢くなる」という言い伝えがあるから、頭に煙をたくさんかける参拝客が大勢いるんだ。

お坊さんうさぎ
お坊さんうさぎ
たくさん頭にかけないと。。

【浅草寺の住所とアクセス】

住所

東京都台東区浅草2丁目3−1

アクセス

鉄道

東武スカイツリーライン:浅草駅より徒歩5分
東京メトロ銀座線:浅草駅より徒歩5分
つくばエクスプレス:浅草駅より徒歩5分
都営地下鉄浅草線:浅草駅A4出口より徒歩5分

など

公式サイトより引用

 

 

【東京・浅草寺・オリジナル歴史イラスト】

東京最古とされる浅草寺の歴史|雷門の大提灯と風神・雷神、江戸の観音信仰

東京都台東区浅草に位置する浅草寺(せんそうじ)は、山号を金龍山とする聖観音宗の総本山です。「浅草観音」の名で親しまれ、東京を代表する歴史ある寺院として、国内外から多くの参拝者が訪れています。

浅草寺の創建は、飛鳥時代の推古天皇36年(628年)にさかのぼると伝えられています。

寺伝によれば、隅田川(当時の宮戸川)で漁をしていた檜前浜成・竹成の兄弟が、網の中から一体の仏像を発見しました。

兄弟がその仏像を土地の有力者であった土師中知に見せたところ、聖観世音菩薩の尊像であることが分かり、中知は自宅を寺に改めて仏像を祀ったとされています。

この出来事が浅草寺の起源と伝えられていますが、628年という年代は寺院の縁起に基づくものです。

大化元年(645年)には勝海上人が寺院を整備し、本尊を秘仏とする制度を定めたと伝えられています。現在も浅草寺の御本尊である聖観世音菩薩像は、一般には公開されない絶対秘仏として大切に守られています。

浅草寺は平安時代から鎌倉時代にかけて武士や貴族の信仰を集め、江戸時代には徳川将軍家の庇護を受けて大きく発展しました。

特に徳川家康は浅草寺を祈願所として重視し、三代将軍徳川家光の時代には本堂や諸堂の再建が進められました。

江戸時代になると浅草寺の門前には商店や茶屋、見世物小屋などが集まり、参拝と娯楽を楽しむ庶民文化の中心地として繁栄しました。

現在の仲見世商店街にも、こうした江戸の門前町文化の面影が受け継がれています。

浅草寺を代表する建築物が、正式名称を「風雷神門(ふうらいじんもん)」という雷門です。

門の中央には巨大な赤い提灯が吊るされ、左右には風神像と雷神像が安置されています。

風神と雷神は、風雨を司る神として信仰され、寺院を風水害や火災から守る存在とされています。

雷門の創建年代は明らかではありませんが、天慶5年(942年)に平公雅が伽藍を整備した際、総門を建立したと伝えられています。

長い歴史の中で雷門は幾度も火災に遭い、慶応元年(1865年)の火災では焼失しました。

その後、約95年間にわたり再建されませんでしたが、昭和35年(1960年)、松下電器産業の創業者・松下幸之助の寄進によって現在の雷門が完成しました。

大提灯は高さ約3.9メートル、幅約3.3メートル、重さ約700キログラムという巨大なものです。

提灯の底には龍の彫刻が施され、浅草寺に伝わる龍神信仰を象徴しています。

雷門をくぐると、約250メートルにわたって仲見世商店街が続き、その先には宝蔵門が建っています。

宝蔵門は、もともと仁王門と呼ばれていましたが、昭和39年(1964年)に再建された際、上層部に経典などを収蔵する施設が設けられたことから現在の名称になりました。

門の左右には仁王尊像が安置され、裏側には巨大なわらじが奉納されています。

宝蔵門を抜けると、浅草寺の中心である本堂が姿を現します。

現在の本堂は、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した旧本堂に代わり、昭和33年(1958年)に再建されたものです。

本堂前には常香炉があり、参拝者が線香を供え、その煙を身に受ける姿が見られます。

常香炉の煙を体の悪い部分に当てるとよいという言い伝えがありますが、これは仏教信仰に基づく伝承であり、医学的な治療効果を示すものではありません。

浅草寺には、このほかにも五重塔、影向堂、薬師堂、二天門など、多くの歴史的な見どころがあります。

特に二天門は江戸時代初期の建築を伝える貴重な建物で、国の重要文化財に指定されています。

また、浅草寺のおみくじは、伝統的な「観音百籤」を用いることでも知られています。

凶が出る割合が比較的多いといわれていますが、寺院では凶を引いた場合も、その内容を戒めとして受け止め、日々の行いを見直すことが大切とされています。

今回のオリジナル歴史イラストでは、浅草寺を象徴する雷門を大きく配置し、巨大な赤い提灯、風神・雷神像、背景の五重塔や寺院建築を組み合わせました。

江戸の門前町を思わせる建物と春の桜を添え、浅草寺が長い年月にわたって人々の信仰と生活文化の中心であったことを表現しています。

お寺シリーズ共通の古紫・苔色・金茶に、雷門の朱色を印象的に取り入れました。

日本画・透明水彩画・水墨画を融合し、和紙の柔らかな風合いを生かした当サイト独自のオリジナル歴史イラストです。

※寺院の歴史と建築物の特徴を参考に制作したイメージ画であり、実際の雷門、風神・雷神像、宝蔵門、五重塔、境内の配置や過去の景観を精密に復元したものではありません。