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富山城

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富山城は富山県富山市にあるお城で、続日本100名城の1つでもあります。
富山城は加賀前田家の分家であった越中前田家の居城で、神通川の流れを城の防御に利用していたと言われています。
水に浮いたように見えるその姿から「浮城」という異名をとっていたそうです。

富山城は1543年に越中東部および新川郡への進出をもくろむ神保長職が、神通川東岸の安住郷に家臣の水越勝重に命じて築城したとされます。
安土桃山時代には、富山城に拠点を構えた佐々成政によって大規模な改修が行われました。
本能寺の変の後、豊臣秀吉と敵対した成政は1585年に秀吉率いる10万の大軍に城を囲まれ降伏します。これを富山の役と呼んでおり、これにより富山城は破却されました。

富山城は大規模な構えの城であったとされていますが、天守は築かれなかったと見られています。
現在城址公園として残っているのは、本丸と西の丸、二の丸などの一部で、面積は当時の6分の1程度です。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒930-0081 富山県富山市本丸1−62

 

富山城の遺構はコンパクトで巡りやすいのが特徴です。
かつての規模に比べると6分の1に縮小してあるので、城巡りもしやすいでしょう。

城址公園東側の入り口には千歳御門が移築現存されています。
この千歳御門は、富山10代藩主である前田利保が隠居所として造営した千歳御殿の正門であり、1849年に建築されたものです。
総欅造りの三間薬医門で、大変貴重な遺構になります。
同じ様式の城門としては東京大学の「赤門」が有名ですね。

富山城の本丸にはかつて庭園があったとされています。
現在庭園跡地あたりには和風庭園が造園されており、浮き城と称された富山城の雰囲気をじっくりと味わうことができるでしょう。

富山城にはもともと天守はありませんでしたが、現在は模擬天守が建てられています。
国宝の犬山城や彦根城を見本にしたという望楼型三重四階天守、二重二階の小天守という堂々たる意匠を持っています。

この天守は戦災復興の象徴として、戦後の富山市民を励ましてきました。
その後、富山城に続き全国各地で、昭和の天守閣建設ラッシュがはじまります。
富山城は天守閣建設のさきがけとなったのでした。