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高田城

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高田城は新潟県上越市にあるお城で、別名「鮫ヶ城」と呼ばれており別名の法が市民には親しまれています。
続日本100名城に選定された高田城は輪郭式平城で、徳川家康の六男である松平忠輝の居城として天下普請によって造られました。
城地の縄張りと工事の総監督は、伊達政宗だったのです。

高田城は高田平野にある菩提ケ原に築かれた平城で、本丸を取り巻くように二の丸、三の丸、北の丸を配置。
関川、青田川を外堀として利用しました。全ての曲輪には土塁が採用されており、石垣は築かれていません。
高田城は低湿地に築城されたため、排水設備が特に重要視されました。
城地には、現在の技術水準から見ても遜色ない水路が張り巡らされていたそうです。

高田城には天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建て天守の代わりとしました。
その外観は、江戸城の富士見櫓に似ていたとも言われています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒943-0835 新潟県上越市本城町6−1

 

高田城は13もの大名が動員された天下普請によって、わずか4ヶ月で完成。
これほどまでに短期間での築城は、豊臣氏との決戦を見据えていたと言われています。
高田城は明治4年に廃城となり、陸軍の駐屯地となります。
陸軍第十三師団の入城に伴い、二の丸、三の丸の土塁は撤去され、堀も一部埋められてしまいました。
現在は高田城跡は、高田公園として整備されています。

高田城の見どころといえば、本丸の土塁上に復元された三重櫓です。
高田城は、石垣はなく、土塁を巡らせて築かれたお城でした。遺構の1つである土塁の上に復元されたのが三重櫓です。
三重櫓は内部に入ることもでき、高田城に関する資料が展示されており、3階からの眺めは抜群で、公園内を見渡すことができます。

また春には4000本もの桜が満開になります。水堀に映える夜桜の幻想的な姿から、日本三大夜桜の1つにも数えられている桜の名所です。